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本の貸し借りをしたくなかった

本が好きな私は基本的に自分の本を人に貸したくない。
もし何らかのトラブルで本が失くなったり、汚れてしまったり、はたまた破れてしまった時に本を借りた人は「ごめんね」と言うだろう。

その時、私はどうにかして「大丈夫だよ」と言いたいのだが、心の中では100%許せない自信がある。

まだ買い直せる本ならば望みはある。
しかし、高額だったり古い本だったりすると、再び手に入れることが難しいケースも多い。

特に私は物事に対する好みが偏っているため、大切にする本は100%大衆受けせず、哀しいかな一瞬で絶版になり、巷から消える。

結果、冒頭の言葉になる。

しかし先月沖縄で、コアな部分で心の通い合う会話のできる友達ができた。簡単に言うとオタク仲間である。

・沖縄やちむん陶芸家の國吉清尚さんが好き
・神事を大切にしている
・マジムン(沖縄に伝わるの妖怪たち)に関心がある

この3つを同じ目線の高さで語り合えると、数回しか会ったことのない人であっても突如として「おぉ、心の友よ」とジャイアン得意のセリフで肩を組みたくなる存在に変わる。
先月出会った友達を例えるとそんな感じ。

再び冒頭の言葉に戻るが、逆も然り。
私は人から本を借りない。
お金は平気で借りる。(きちんと返しているので見損なわないで……)

本を借りない理由は同じ。借りた時と同じ状態で返せると限らないからだ。

しかしながら、先月出会った友達から私はなんと5冊も本を借りてきた。
沖縄から千葉に持って帰ってきた。もちろん重かった。

宅急便で返してしまえばいいのだろうが、ここは直接返したいのが私のこだわり。

「本を返しに沖縄へ行く」


そして、次に沖縄へ行った時友達に貸したい本が2冊ある。既に旅用のバッグに入れてある。

過去に出版された國吉清尚さんの陶芸作品写真集と今は絶版になってしまったマジムン図鑑だ。

私にとっては門外不出なはずの大切な2冊。

しかしながらタブーを犯してでも友達に読んでもらいたいし、読んだ感想を教えてもらいたい。
オタク仲間ってそんな感じなんじゃないかな。

これまで「自分がどう感じているか」ばかりに気を取られてきた人生だった。

この歳になって少しずつ、同じ趣味や似た感性を持つ人が、どう感じているのか、何を考えているのか関心を持つようになってきた。

実際にそれを聞かせてもらうことが楽しいと思えるようにもなってきた。

もし、自分の成績表をつけるとしたら……今学期は「友達との関係を通して情緒の成長が感じられました」というコメントを書きたいと思う。


成長というのは、自分ひとりで頑張っても成し得ないことと気づいた。有り難いことである。

𓃠𓃠𓃠この記事にも登場している友達です𓃠𓃠𓃠𓃠


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