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古宇利島に橋が架かって 架橋された島の今、むかし

抜けるような青海に架かるこの橋は、沖縄へ行ったことがなくても目にしたことのある人は多いでしょう。まるで海の上を走っているような絶景が楽しめる古宇利大橋です。

古宇利大橋は今から約20年前の2005年に開通しました。

観光客と古宇利大橋

古宇利大橋ができたことで、古宇利島は観光客が気軽に訪れることができる離島になりました。
外国人観光客も古宇利大橋の写真をSNSで発信しており、絶景に架かる橋と国内外から注目を集めています。

今でも開発は続いていて、気がつけばリゾートホテルが立ち並び、おしゃれなカフェやお店がたくさん。
観光客は美しい自然の中で、オシャレで快適な沖縄時間を楽しむことができます。

島民の暮らしも一変

古宇利島の島民にも、沖縄本島まで橋を利用して移動できる便利な生活がもたらされました。
夜中に急病人が出ても、すぐに病院へ連れて行ける安心感。
医療体制が整うこと。最も島民たちが手にしたかった生活です。

その昔、本島と橋で繋がっていない古宇利島は海が荒れる度に船が出せず食料が入って来ない、急病人がいても病院にかかれない「離島苦」と呼ばれる生活でした。
Dr.コトー診療所というドラマでは、そんな離島での暮らしがありのままに描かれています。

古宇利大橋を造るか否か。
架橋前に住民たちの意見は分かれたといいます。

架橋すると沖縄本島からのアクセスが便利になります。これは、外から訪れる人も増えることを意味します。

静かな島の暮らしを守るか、救急医療体制の整った安心できる暮らしを得るか。

最終的には「命どぅ宝(命は宝)」という沖縄の人々が大切にしている言葉を選ぶ形となり、古宇利大橋を架けることが決定しました。

古宇利大橋ができてすっかり観光地化された今、島民から聞こえてくるのはうれしい感想ばかりではありませんでした。

「便利だけど落ち着かないねぇ」。
自由気ままに道を歩いていたという、年配の女性は淋しげに笑います。
若い人なんかは車でスピード出すでしょ、怖いねぇと。

こんな悲しい話も耳にしました。
沖縄本島から車でゴミ(電化製品のような産業廃棄物)を捨てに来る人がいるそうです。
どこの誰か分からない人が自由に島へ入ってくるようになったからこんなことになった、と島の人は嘆きます。

架橋するため、そして護岸のために美しかった砂浜は、埋め立てられてしまいました。
ふらりと歩けば眺められた美しい海と砂浜の風景は一変します。
「海に行かなくなったよ」という言葉を耳にしたこともあります。

海も道路も、もうこの島だけのものじゃなくなった

無邪気に古宇利島を訪れ、楽しんでいた一人として この言葉はショックでした。
誰かの大切にしていたものを無自覚に壊してしまったような気持ちになりました。

古宇利大橋が架かる前の古宇利島は、少し鬱蒼としていて、久高島に近い雰囲気でした。

実際に古宇利島には伝説がたくさん残っており、神事を行う拝所も多く存在しています。

「神様が降りてくる」という言い伝えがある、島の人にとって大切な意味を持つ石の前に、ゴミが捨てられたこともあったそうです。

「胸が痛んだよ」という言葉にグサリときました。

海の物はみんなのもの、ではなくなった

「名物だったウニは2000年頃から取れなくなった」

古宇利島と言えば、ウニ丼が名物でした。
しかし今では遠い昔のおとぎ話です。

美しく見える青い海も実は変化していたのです。
ジュゴンが食べるアマモという藻も、なくなってしまいました。

現在はもずくやスギという魚を養殖する、養殖業が盛んになっています。

架橋前には戻れない

古宇利大橋が架かる前の暮らしに戻すことはできません。
橋がなければよかった、と嘆くこともどこか違う。
かといって、「古宇利島に行くのをやめて、環境を守りましょう」と声高に叫ぶこともお門違いです。

よそ者だけど、安全と便利さの代わりに古宇利島の失った物に頭の中は堂々巡りでした。





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