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ムーン・ショット!マカピーな日々#0592

マカピーです。

2か月ほど前の事になりますが、ブルームバーグの記事に目がとまり「ムーン・ショット」について考えました!


「ムーン・ショット」という言葉を思い出し、『そうだ現代日本に欠けてるのがこれじゃないかな』って思いついたのでした。

たとえば映画「三丁目の夕日」では、小説家を目指す茶川さん宅にジュンノスケがやってきます。憧れの作家茶川さんを見習ってジュンノスケも小説を書き始めるのですが、未来を描いた作品の中ではチューブの中を高速で走る自動車の模様にクラスメートをうならせます。

「大ぼら」でもいいからこんなことが出来る世の中になろう!っていう思考や動機がとても大切なんだって思うんです。

そう、ムーン・ショットは夢を語ることなんです!

ジュール・ベルヌの月世界旅行」「海底2万マイル」「15少年漂流記」「悪魔の発明」に心躍らせた子供たちは、やがて本物のロケットを作り出し、映画「Back to the Future」を作りその中でもジュール・ベルヌを称賛しています。


残念なことに、マカピー達は大人になる過程でそうした自分が果たせなかった「夢」を否定するようになる傾向がありますよね。

更に、自分の子供たちに向かっても「いつまでも、たわごとを信じて、夢を見ているんじゃない」「君は受験生なんだから、そんな非現実的ものに関わるんじゃない!」なんて言っちゃうのです。

本当はそう言っている自分自身も、夢に興奮した時代があったことにはしっかり蓋をして「自分が王道を歩いてきたような態度」で次世代の若者に伝えようとしても、それをまともに聞く若者っていないだろうなあ!

だから「鉄は熱いうちに打て」と本来の意味を勘違いして、強要や脅迫して子供を「型にはめる」行動に出ちゃうのかもしれません。

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若い世代がのみならず。スティーブ・ジョブズさんが夢中になって作ったiPhoneの話や、イーロン・マスクさんが説く火星移住計画にワクワクして、できれば自分もそこに参加してみたくなる気持ちって自然でしょう?

じゃあ、自分はどうやってそれに関わろうか?

そう考えたら「やっぱりコンピューター・サイエンスの道に進むべきだろう!」とか「地球物理学の知識が生かせそうだ」などと目標設定がしやすくなると思うんですよ。

やはり、好きなものをやっているときは人間は苦痛に感じませんものね!

そうやって「ムーンショット」にかかわる事が可能ですが、実際には成功にたどり着く研究やプロジェクトに関われるまでの長時間の努力が報われるかどうかは誰にもわかりません。

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では「ムーン・ショット」が若者の特権かというと、そうではありません。

例えば、大阪の民博館長もされ民族学者だった故梅棹忠男氏たち(小松左京さんもいた!)は自宅を開放しての「サロン活動」の中で常に新しい世界、面白いアイデアを描いていは知的興奮に歓喜したそうです。

そして、こうした中から「大阪万博」が生まれるわけです!

梅棹さんは、その後突然失明してしまっても活動を中止することなく希望を失わなかったことで、とてもマカピーが憧れる方でした。

この投稿では「マカピー的史観」と名付けているのは、梅棹さんの名著「文明の生態的史観」からお借りしたのです!

同じ京大関係で盟友でもあった川喜田二郎さんはフィールドワークをネパールでされていた関係で、マカピーが滞在したころも、よくお出でになってカトマンズの宿Sunset View Hotelに泊まっていたのを思い出します。

いろんなアイデアが現場で行動しながら、生まれることがあります。川喜田さんは有名な「KJ法」の開発者であり、梅棹さんはB6サイズの「京大カード」を開発して商品化していたのでマカピーもアイデアを書き留めるのに随分利用した思い出があります。

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ある日、埼玉の実家に戻った時に駅前のケーキショップに立ち寄り、注文してあった三男のバースデー・ケーキを受け取った際に、店主の奥さんがチョコレートの板にあるメッセージを見ながら尋ねてきたのです。

奥さん:「この三歳になるKaiって、お客さんのお子さんの名前ですか?」

「そうです」と答えるとさらに続くのでした。

奥さん:「失礼な質問かもしれませんが、奥さんはスカンジナビアン(北欧)ですか?」

マカピー:「いえ、日本人です。息子は『海』と書いてカイと読みます」

奥さん:「実は私の孫が同じ年で同じ名前だったので、気になって聞いちゃいました。私の娘の旦那が北欧系のドイツ人なの。あちらでは結構多い名前なのよ、Kaiって」

マカピー:「そうなんですか!うちのKaiはイエメン共和国の首都サナアで生まれています」

奥さん:「もしかして、民俗学とかのお仕事関係ですか?」

マカピー:「(笑)興味はありますが、結核関連の仕事です。今もネパールから一時帰国中なんです」

奥さん:「ネパールといえば『ヒマラヤ保全協会』とかご存じかしら?」

マカピー:「そりゃあ知ってます。現地の代表の方とも会ったことがありますよ。それが何か?」

奥さん:「私が学生のころ川喜田教授の研究グループで各地を飛び回っていたから思い出したのよ」

マカピー:「え?川喜田先生のお弟子さんなんですか?」

奥さん:「私は研究者にならなかったから、弟子じゃないわね。でも面白かったわ!知的興奮と夢があったのよね、あの頃を思い出すと!」

マカピー:「素晴らしい経験をされているんですね!川喜田先生は私の知っているホテルに今でもよく逗留されているって、オーナーのヒロ子さんが言ってましたよ!」

奥さん:「そう、川喜田先生懐かしいわ。あらやだ引き止めちゃったわね!Kai君お誕生日おめでとうございます」

マカピー:「また、次の帰国時に機会があったらお話ししましょう。さようなら」

ところが、このお店はその後で駅前の道路拡張工事計画に伴って店じまいしてしまいマカピーは奥さんに再会することはありませんでした。

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マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。眠るのを惜しんで語り合った日もあったね。





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