出来なかったから マカピーな日々#0260
マカピーです。
マカピーは小学四年生になるまで自転車に乗れませんでした。
それは、1年生のころトライしてこっぴどく転んだのがトラウマになってしまい、自転車に対する恐怖心から決してその後サドルにまたがろうとしなかったのです。
地方の農村地帯ですから当然、自転車に乗れる子供と比べるとその行動範囲が狭くなります。
それでも一緒に遊びに行きたいマカピーは、兄やその友達の自転車の後を一生懸命走って追いかけることになったんです。
3歳年上の兄は、近所の友達と遊ぶにも金魚の糞のように付いてくるマカピーを嫌がらずにとても優しかったんです。
大人になって、帰省して兄の友達に会うと「マカピーは、いつも僕らの後を一生懸命走ってついてきてたよね」と懐かしがるのでした。
そして、4年生になったある日マカピーは突然自転車に乗りたくなり、父に頼んで補助輪をつけた自転車に挑戦したんです。
そしたらあっけなく、数日で乗れるようになったのです。
それで有頂天になったマカピーはブレーキが壊れている自転車に乗ってカーブが曲がり切れず溝に転落してしまい、頭に大きなタンコブをつくりながらも元気いっぱいでした。
そんなことを回想して、いまでも不思議に思うのは
小学1年生のころのトライから3年間ほどかたくなに自転車を拒否してきたマカピーに対してしつこく周囲が「ほら、やってみれば簡単だよ」などと再チャレンジを持ちかけなかった、、、、そんなふうに覚えています。
それでよかったのだろうなあ。
不思議なものですが、人間とは自分が必要であると熱望すると素早く技術を覚え、強制されるとなかなか熟練しないようです。
そして、自転車に乗れなかったマカピーは兄の自転車を追いかけたおかげで走るのが早くなりました。というより長距離ランナーになったのでした。
中学生のころはバレーボールをやりつつ長距離が強いので駅伝のメンバーに選ばれて県の大会へも出場しましたし、高校ではバレーボールから山岳同好会に転向しつつも毎日走ってばかりいたので校内マラソン大会でも上位入賞するほどでした。
それを成功というのはおこがましいかもしれませんが、どうやら条件が悪いから「出来ない」と言うのは意味が無いんですね。
カンボジアにいた頃の話です。
日本人の仲間たちとプノンペンの炎天下、バレーボールを楽しんで時々他のチームとの交流試合も行いました。
何故かしら日本が援助していた国営テレビ局のスタッフチームとやったのですがユニフォームもばっちり決めているチームでわがチームは負けてしまうのですが、彼らは商売柄その模様をしっかりとニュース番組にしたのには弱りました。
また、身体的ハンディキャップのあるチームと親善試合をしました。彼らは地雷で片足のない人が多いチームでしたが、スポンサーをつけて競技用義足をつけると、そもそもの身体能力に加えてものすごいジャンプを見せるのでした。
そこでもマカピーのチームは大敗するのでした。
後で聞いたらこのチームは当時釜山であったパラリンピックで入賞していたんですって!
試合後の慰労会でのんでいると、わがチームの自称エース・アタッカーは「僕もあの義足さえあれば、ビシバシとアタックやブロックをきめられるよ!」と試合を振り返るとと、隣の仲間が「それで、どこにその義足をつけるんだって?」
さあ、なりたい自分になろう。
夢の実現には、制約条件なんて関係ないんだね!
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。明日もお楽しみに!