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色の消えた光景 マカピーな日々#0292
マカピーです。
東日本大震災が発生した時マカピーはアフリカにいたのですが、その6月に三男がインターナショナルスクールを卒業してドイツの大学に行く準備のために一時帰国したんです。
ウズベキスタンの元同僚から「マカピーさん、ともかく一度被災地の現場を見ておきなさい。信じられない光景があるから」
彼女は世界の災害現場で救援活動をしてきたプロでした。
すると偶然なのか三男が「僕は東北の被災地に行ってボランティア活動したい」と言ってきたのでした。
そりゃそうだ、行こう!
ところがどのボランティアに申し込んでよいのか分かりませんでしたが、これまたウズベキスタンでの知り合いが帰国して東大の大学院に行っていて「ウチの学校で募集してます」と教えてくれたので、そこに決めたのでした。
集合場所は東大駒場の教室、夕暮でちょうど大学の前期試験終了日でお祭り的なムードがありました。
集合場所に行くと一人の男性がいてこの人が大学でのボランティア活動をまとめている責任者で、彼に費用を支払い説明を息子と聞きました。
すると、もう一人若い女性が入ってきました。
「スミマセン遅れて。先ほど試験が終わったところだったんです」
すると責任者氏は
「じゃあ、全員集合しましたから出発しましょう」
「ええ? 全員で3名ですか?」
「私も含めて4名ですね」
「・・・・・(この人もボランティアなの?)」
案内された駐車場にはボックスカーのタウンエースがありましたがボディーに○○印刷とあり、内装は固いベンチシートが一つのみ。
マカピーは責任者氏の隣の助手席。東大2年生と三男は後ろのシートとなりました。
「この車は印刷会社をやっている親のところから借りて、災害支援車になりました」
「僕は東大大学院で助手をしているのですが、今度の震災で何かできないかとボランティア活動を始めて、東京近辺の人を仙台近辺に連れてゆくことにしたんです。あちらにはアパートが借りてあるのでこれからそちらに宿泊します」
マカピー達を乗せた車は首都高から東北自動車道をひたすら北上します。運転はずっと責任者氏でした。一人でいろいろやるのも大変だろうと想像できました。
災害支援車のプレートを付けた車は、途中雷鳴がとどろきワイパーでかき切れない雨を抜けてひた走るのでした。そしてマカピーは運転手の眠気覚ましににいろいろな話をしました。
一方、後ろの二人といえば、、、
まるで旧知のように、実に楽しそうに話をしているのでした、英語で。
この東大生最初に集合場所で「わたし、○○です。日本人ですけど英語で話す方が楽なんです」と妙な自己紹介をしていたのを思い出しました。
三男も日本に来て知り合いもほとんどいないし、英語で話ができない環境に相当ストレスがあったらしく、二人は互いに鬱憤を晴らすがごとく話し込んでいました。
この後も、二人は第三者が邪魔をしない限り、見事に2泊3日の間ずーっと英語をしゃべっていました。
夜中に仙台のアパートに到着しました。
翌朝の作業のために寝なければいけなかったのですが、突然のゴーという地鳴りと共に余震がありアパートがグラグラしたので体がこわばりました。
翌日は近くのコンビニ弁当をたべて仙台空港近くの岩沼市のボランティア受け入れセンターで受付をすませて配属されたのが独居老人宅の家の掃除。
想像と違ったので少し肩透かしを食った感じでしたが、こうした活動もあるのだなあと家の周囲の草刈りもしました。
「それじゃあ、アパートに帰る前に近くの港へ行って見ましょう」責任者氏はそういってマカピー達を乗せて北上しました。
マカピーはその光景を忘れることができません。
田んぼのあちこちに車が水に浸かっている中を行くと閖上(ゆりあげ)の街の跡がありました。
船が陸に乗り上げ歩道橋などの鉄骨構造物以外ほとんどないモノトーンの世界が広がっているだけでした。
いや、色を感じなかったのですが道路際に沢山の消火器が集まっていてその赤い色だけが今でも脳裏に焼き付いています。
責任者氏は車をゆっくり閖上港ちかくの神社のある丘に連れてきました。そこの鳥居も津波に半分失われていましたが丘からはなにもない閖上港がありその周囲で重機が修復作業を続けていました。
さすがに饒舌だった若者二人もショックで言葉を発しないままアパートに戻りました。
アパートではやはりコンビニ弁当を食べそれぞれ休む態勢に入ったのですが。責任者氏は「少し飲みますか?」と一升瓶を持ってきたので隣の部屋でおしゃべりに夢中の二人をよそに、こちらは酒を酌み交わし話をしました。
翌日は岩沼のボランティアセンターが閉鎖される最終日でした。
マカピー達は軒下まで泥水に浸かった家の床下の泥さらいをしました。ここではマカピー達だけでなく30人くらいの人が羽目板を剥いだ床下からバケツリレーで泥出しをしました。
休み時間にここの家主の被災当時の様子を聞いた後で、ボランティア各人の自己紹介がありました。
その中にウエットシートにヘッドライト姿の3人ほどグループがありました。彼らは家のコンクリート布基礎の細い隙間に体をこじ入れて泥を掻き出すプロみたいな人でした。
言葉から関西の方と分かりましたが休憩時間に尋ねると震災直後から3か月以上滞在し活動しているというのです。
「ええ?失礼ですが、どちらにお泊りなんですか?」
「ずーっと駐車場でテント生活です」
「一昨日の晩に地震ありましたよね?」
「ゴーっと地鳴りがありましたわ」
「今、お仕事はどうしてるんですか?」
「辞めて、ここに来てます。だって困ってる人がいますもの」
「前から気になってたんですが、その腕に書いてあるのは何ですか?」
「ああ、これね。岩沼ちゅうたら英語でRock bokだから毎朝マーカーで書くんです。ここに来た時に集まった仲間と一緒にいるんだ!っていう気になるから」
「ここでの活動が終わったら帰るんですか?」
「まだ大変なところはいっぱいあるからそっちに移るつもり」
ウーン・・・・。
マカピー達3人も自己紹介しました。
女子大学生には、「どこの学校ですか?」とRock bok氏から質問がありました。
「東大です」
「おお、初めて生の女子東大生見たわ!握手させてもらっていい?」さすがにいいキャラを出していました。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。ではまた明日。
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