ルーツを知る機会が消えてる!マカピーな日々#0660
マカピーです。
マカピーは東京の学校へ行くようになって、群馬の高校を卒業すると、夏休みでも次第に実家に帰る期間が短くなり、アルバイトに行ってしまったりしていました。
更に海外に行くようになり、海外暮らしが長くなれば当然その機会は減ります。昨今はCOVID-19の影響もあり、ほとんどSkypeで話をする程度になってしましました。
実はマカピーは自分が疎遠になってゆくことは、具体的に何も想像していませんでした。
むしろ、日本で育っていないマカピーの子供たちが訪ねてゆく、祖父母の家としてもっと訪問する機会があるかなあって思ったんですが、結果的にはそうはなりませんでした。
むしろマカピー妻の両親の住む家が自宅の近くだったので、そちらのつながりが強かったからでしょう。
マカピー父はマカピー母の家に養子で入ったので、三世代7人(子供は3人男の子)が暮らす農家でした。
当然父の実家へ行く機会がどうしても少なくお正月の頃の泊まり込みで、父方のいとこ達に会うことがでとても賑やかだったのを思い出します。
今の自分の姿からは考えられないのですが、マカピーの幼いころは「人見知りの性格も」あったので、父方の祖父母に対してはなんだか他人行儀になってしまっていました。
特に長患いをしていた祖母に対しては「お小遣いをくれるリウマチで動けないお年寄り」的にしか見えなかったのです。
祖母はリュウマチで炬燵から動けない状態が長く続いていたのですが、頭脳は明晰でマカピーの事もよく観察していたそうです。
古い白黒の写真で祖父母が実家の家の前で二人で立っている写真を見たときに「そうだ、祖母はこんな風に歩いていたんだなあ」ってわかるのでした。
そして今更ながらに、上手くしゃべれない祖母であっても、もっともっと話がしたかったなあって懐かしく感じるのでした。
マカピーがヨルダンにいるときに、兄から出勤前のマカピーに電話があり父が突然呼吸停止で亡くなったと連絡を受けた時に「え、そんなはずはない。それって違うだろう」って思ったのです。
それはその前夜、PCに向かって父の事をあれこれと文章にしていたからです。しかも突然思いついて書き始めていたんです。
まず、どうして父が婿養子として母のところに来ることになったのか?その時に祖父母はどんな気持ちだったのだろうか?そんなことを考えながら自分の知る父の姿を残したかったのかもしれません。
義父になるマカピー祖父と父が喧嘩をしたことを見たことはなかったけど、本当はどう思ってたのでしょうか?
時々マカピー実母のことを「お前は、嫁の苦労を知らないからいい気なもんだ!」と言ってたけど離婚したいと思ったこともあるのかな?
あと10間で日本に帰って病院の父に会って尋ねてもおそらく返事がないだろうとは兄から聞いていましたが、マカピーのニュースレターを読むと反応するって言ってたのです。
兄は「お前が返ってくるまではおそらく大丈夫だから、仕事を片付けてから帰っておいで」と言ってくれました。
だから訃報を聞いた時に、マカピーの気持ちの中では、昨晩久しぶりに父と長話をした気分になっていたと気づいたのでした。
え、あの架空の話をして逝っちゃたんだ?
マカピー兄がその数日前に転院した時の父の写真を見たときに「え、これが父なの?というより、おばあちゃんとそっくりじゃないか!」
口腔ガンであごの一部を切除したこともあり、入れ歯を外すと顔がクシャっと潰れたようになり放埓な白髪頭は一瞬老婆に見えるのでした。
それが父の母親の顔に似ていたと思ったとき「ああ、父は自分の母のところに帰って行ったんだなあ」って納得したのでしたが涙が止まりませんでした。
結局肝心なことはあまり話さないで来たものだから、その生い立ちも、あまり聞かないで過ごしてしまっています。
ましてや彼の両親や兄弟の事もじっくり知ることもしないままになってしまった事が、今更ながらに何てもったいなかったのかなあって最近思うんです。
時々マカピー実母とSkypeをするときは、父がどんな人柄だったのかいろいろエピソードを尋ねるようにしています。
そうすると、昔のことはよく記憶しているマカピー実母との会話は一時間近くになることもあるのでした。
いいじゃない、長話になってもさ。
親子なんだし、話したい母がいて、聞きたいマカピーがいるんだから!(笑)
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。何気ない会話がとても貴重に思えた