ロシア市場らしい怪しさを求めて マカピーな日々#0481
マカピーです。
マカピーはカンボジアに縁があったらしく、2度の滞在で5年間以上いました。
最初の滞在は1999年で、ちょうど2000年を祝う「ミレニアム・コンサート」がアンコールワットで開催されたのを思い出します。
当時はパイリン州にポルポト派の残党が残っていて、ときおり地雷による被害の報告がありましたし、反乱軍がプノンペンを攻撃し交戦があったり、ビルの爆破事件も発生して不穏な時期でもありました。
マカピーは毎週土曜日になると自宅から近いバンケンコン市場へ行き生鮮食料品を仕入れていましたが、たまには中央市場(プサー・トゥメイン)そしてロシア市場(プサー・トゥールトンポン)にも足をのばすこともありました。
特に「ドロボウ市場」の異名をとるロシア市場は、かなり胡散臭い市場でしたが、迷路のような薄暗い通路を歩くと「無いものはない」不思議な世界がありました。
外国人観光客や居住者の「お目当て」は、格安に入手できるGAPやラルフローレンなどのブランドのシャツやパンツでした。
それは縫製工場から流れてくる品物のアウトレット商品に近いものですが、良くチェックしないと縫製にムラがあったりするので、裸電球に商品を広げ埃だらけになりながら汗びっしょりで格闘することになります。
もちろん、そうした人たちをつけ狙うスリもいることを考慮し、大金は持ち歩かないことです。
お土産品からよくわからない古道具まで店舗の境目が分からない程ビッシリ品物が置かれている区域もあり、程度の良いベトナムのバチャン焼きなども入手可能でした。
それから、映画DVDや音楽CDなどもありました。もちろん違法コピー商品です。一応試聴してから購入するのですが、家に帰ってから再生するとうまくゆかない場合もあります。
その店舗に戻り「これ、見られなかったよ」というと「あ、そう。じゃあ他のを選んで!」とかなりイージーな感じでした。
時々「このタイトルの映画DVDないかな?」と尋ねると探し出してくれますし、逆に「今度日本に行った時にそのDVD買って来てくれたら買い取るよ!」なんて言われることもありました。
そうです、何でもコピーして売ってしまうのが、当時のプノンペンでした。
ある大手CDショップに行った時にある国連機関のワークショップの全資料が入ったCDがコピーされて売られていました。きっと誰かが個人的に複製を依頼した際に売れそうと思った店舗が大量に複製しておいたものでしょう。
プロダクトキー付のWindowsのOSや各種ソフトがあり、かなりヤバい感じがしました。
マカピーの家に泥棒が入ってPCを盗まれた際にも、警官が「今頃、そのパソコンもロシア市場かなあ?」って言ってました。
それを聞いてさっそくマカピーは地元の知人を通じて盗品を扱う筋を当たって買い戻しを狙ったのですが、うまくゆきませんでした。
熱帯のカンボジアから冬季のある欧米に帰国する人たちが、やはりロシア市場で冬服などを格安で調達できたのは、そうした衣料品縫製工場の存在によるものでした。
また、不良品に混ざってかなりシッカリした包装にドル表示価格のラベルまであるような、「高級」品も混在していたのは盗品や保税加工区からの横流しだったようです。
カンボジアには各地に輸出品を製造する特別税制優遇で設立された外国資本の縫製工場やその他の企業の保税地区がいくつかあります。
そうした事業はこうした事業に馴れた事業主が、数年間のカンボジア政府の無税措置などの優遇制度や地方からの安い労働力を目当人集めをし、雇った中間管理職に24時間3交代シフトのフル操業を開始します。
そこでは重労働に加えて劣悪な居住空間で体を壊す若い女性労働も無視し、賃金支払いを遅延した挙句突然姿をくらますような悪徳な連中もいて、彼らの事を「スーツケース・ビジネス」と呼んでいました。
あれから10年以上経過して2度目のカンボジアは違法ビジネスの取り締まりや最低賃金法もでき落ち着いてきていたのですが、今度は中国資本が海岸線地域の買い占め、高層ビル建設やその投資にバブルな様相を見せて驚くばかりでした。
マカピーの滞在中にプノンペン市内には2店舗目のイオンモールがオープンしたばかりか、日本のすし屋やチェーン店が100件以上ありました。2000年ころは日本料理屋はたった3軒しかなかったんですよ!
マカピーが久々に出かけたロシア市場の周辺もうさん臭さは払拭されて、市場内も照明が完備され明るくなっていました。
ところが以前感じられた「もののけ」に出会うような胡散臭さは整然と並ぶ店舗にはなく、マカピーは言い知れぬ寂しい気持ちになったのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。もう危ない雰囲気は必要ないんですね。