それでネパールから帰国したんだ マカピーな日々#0218
マカピーです。
かつてマカピーは偶然一人で祖母の最後に立ち会いました。
肝臓がんの末期だった祖母は最後を自宅で迎えるために、退院してベッドに横たわっていました。
主治医は数日おきに様子を見てくれ、天井からは痛みを緩和するモルヒネの入った点滴を天井からぶら下がっていました。
その日の夕方マカピーはいつものように祖母のむくんだ脚や背中をさすっていました。病状が進んだ祖母とは既に会話ができませんでしたが無言でもそうすると気持ちよさそうにするので、マカピーもよもやま話を語りかけながらもみ続けていました。
そうすると、突然祖母のからだにキューっと力が入ったのが分かりました。
???
その後、祖母は長い息を吐いたのです。
それからしばらくたっても、もう息を吸い込まなかったのです。
えっ?
マカピーは時間が止まったような感覚に襲われました。
寝巻に差し込んだ手にはぬくもりがありますが、その手にはもう心臓の鼓動が感じ取れません。
手を口元にかざしても呼気が感じられません。
えええっ?
「おばあちゃん、今、死んじゃったの?」
実家は農業をしていたので祖父も両親も戸外にいて、家の中にはマカピーと祖母以外誰もいませんでした。
どうしたものか?
そうだ誰かに知らせなくちゃ。
マカピーは休日で家業の養鶏場を手伝っていた兄のところへ駆けて行きました。
ちょうど兄が母屋に向かって歩いてきているのが見えました。
「あのさ、おばあちゃん死んじゃったんだ」
「うん?本当に?」
「背中さすっていたらキューって伸びて、その後息しないんだ」
その後お葬式までの事はよく覚えていませんが、葬儀の前夜は祖父が最後だからと遺体の横たわる寝床の隣で寝たこと。そして祖母の布団の上には日本刀が少しその刃を見せてのせられていたのを思い出せます。
それから祖母の死後に自分の決断がはっきりしたのを覚えています。
海外での仕事に挑戦しようと決めたのも結婚を決めたのも、この祖母の死があったおかげです。
「おばあちゃん、ありがとう」
そもそもマカピーは青年海外協力隊で活動したマレイシアから帰国後すぐに日本に来るマレイシアの青年を受け入れる仕事をして、タイ、マレイシア、インド、スリランカ、モルジブ、インド、ネパール、タイとバックパッカーの旅を半年ほどしたのでした。
さてもう数か月旅をつづけようかと思っていたところ、帰国することにしたのはネパールから実家に国際電話を入れたからでした。
実家の母が言うには「おばあちゃんは肝臓がんで3か月の命だって言われちゃったの。お前もそろそろ帰っておいで」
その数年前に持病の糖尿病から祖母は片目を失明していましたが、旅の前に実家に立ち寄った際には祖母の体調不良は聞いていませんでした。
毎月通っていた病院から、突然末期の肝臓がんを言われ、家族もショックを受けていました。
「何のために毎月通院していたんだ」という疑問もあったようですが事態が好転するわけではないので、それ以上問い病院側に詰める事はありませんでした。
マカピーはその電話の後で、直ぐに帰国を決めエアチケットを手配して数日後にはバンコク経由で日本に帰りました。
しばらく実家で祖母の看護と家業を手伝って過ごしたのが28歳の秋の事で、祖母の葬儀はちょうどソウルオリンピックの開会式の日でした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。これからもマカピー的史観をつづけますので引き続きお読みいただければ嬉しいです。
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