セイイチを思い出したら。マカピーの日々 ♯1637
マカピーです。
お正月に高校時代のクラスメートの訃報が届いたのです。
クラスメートの訃報
そして今日が彼、「セイイチ」の家族葬だったそうです。
マカピーは別のクラスメートからセイイチの訃報を知らされました。
と言っても、その彼とも普段から頻繁に連絡をしている訳ではなかったのですが、たまたま修理していたスマホが直ると同時のようにそこのLINEにメッセージが届いたのでした。
セイイチとは高校二年生で一緒のクラスになりました。
太っちょでいつも文庫本を片手に何かしら読んでいる奴で、一旦話し出すと止まらない程おしゃべりでした。
お互いに東京の学校に進学したのですが、その後ほとんど会う事もありませんでした。
マカピーが初赴任でマニラで仕事をしていた際に、日本から来る仕事関係者を出迎えに行く事がありました。
現在のように沢山ターミナルのある近代的なニノイ・アキノ国際空港ではなく、「シャチョウ(社長)コッチコッチ」などと大声のタクシーの呼び込みがあるような1990年の頃だったと覚えています。
マカピーは事務所から特別に発給してもらったパスがあったので、一般の出迎えする人よりも奥の税関検査の場所まで入って出迎えることが出来ました。
いつもの通り、半そでシャツに胸にパスをぶら下げて灼熱の太陽に炙られながら空港建物に入ろうとすると日本からの団体客がありました。
(今はそうした団体旅行が少なくなりましたね!)
何とその中に見覚えがある男性がセイイチだったのです。
「おい、セイイチだよな!何しに来たんだ?」
「おお、マカピー。なんでお前がここにいるんだ? あ、俺たちを出迎えか?」
「まさか!お前を迎えに来たんじゃない。別の仕事関係者が到着したから出迎えなんだ。オレはこっちに住んでいるんだ」
「ふーん。こっちは社員旅行なんだ」
「おお、せいぜい楽しんでくれ」
「マカピーもご苦労さん。じゃあな」
偶然の再会も、そんな会話だったのです。
その後更に10年ほど経って一度クラス会を東京で開催した際に再会したら自転車で来ていたセイイチでした。
「オレこの近くに住んでいるんだ。二次会は任せてくれ」
と威勢のいいこと言っていたが、皆を連れてグルグル回るのですが結局終電まで粘れる店が見つからず喫茶店に入ったのでした。
そんなセイイチの最後がどんなだったのかのかなあ。
知らせてくれたクラスメートも詳しく知らないのでした。
「セイイチ、一足先に行っててくれ。後でまた会おうな!」
安否確認
昨年暮れに会った中学校時代のクラス会幹事のシゲちゃんからもその模様が知らされました。
開会では亡くなった友の名前が発表され、出席できなかった人の安否確認?もあったようです。
マカピーはLINEの入ったスマホ故障のおかげで危うく「消息不明」になりそうでしたが、普段からコンタクトしていたシゲちゃんのおかげでマカピーがマレーシアにいる事を伝えてもらいました。
もっとも同窓であっても、疎遠だった友達の死が何を意味するのか、実はマカピーにとってもよくわかりません。
だって、中には学校にいても殆ど会話をした覚えがないクラスメートだっていたのです。
マカピーの中学校では同級生が120名程度でしたからまだ良かったのですが、高校進学するとビックリしたのは同級生だけでも900人以上いるという、全国でも有数なマンモス校だったからです。
つまり「自分の事を知っている人がいない!」環境変化に驚き、井の中の蛙状態だったことが分かりビックリしたのを覚えています。
卒業式の時に入学時の生徒数が50人位減っていたのですが、それにも気付きませんでした。
それって、普通のクラス一つ分が減っているんですよね(笑)
自分を囲む世界が広がる感覚
実は同じ事がマカピー次男にもありました。
彼は海外の小さなインターナショナルスクールを卒業して、カナダのバンクーバーにある大学に入学するのですがマカピーが感じたような「アイデンティティ・クライシス」に見舞われるのでした。
だって高校時代はクラスメートが24人しかいなかったのに大学へ行くと広大なキャンパスに沢山の学部があり4万人以上の学生が学んでいたというのです。
マカピー次男は、数百人も入る大きな講堂で講義を受けても「誰も知らない」のですからショックだったようです。
彼は高校時代、生徒会長もやってスポーツ万能の人気者だったんで、誰もが知っている存在であったからそのギャップは尚更だったようです。
それで彼はその寂しさからドミトリーで同室になった友達やその他のところへ出向いて過ごすことが多くなり、成績がガタ落ち。なんと一年留年してしまいました。
ザンビアにいる時に尋ねてきた際に「転部したい」と言ったのでした。
結局、そのまま大学を卒業するのですが、あの時は相当厳しかったようです。
これからの人生
マカピーも同じですが、過去に出会った人もやがて年老い亡くなって行きます。
今さらながらですが、人は「生まれた時から必ず死ぬことが運命づけられている」のですから!
ですから、クラス会の名簿も増えることは決してありませんよね。
確かにそれは共通の昔話に花を咲かせる機会を失う事でもあるけれど、結局は自分もいつかは退場するのですから、同じなんですよね。
せいぜい若い人たちとも仲良くして人生を楽しむことにしましょう。
セイイチはマカピーにいろいろな事を考えさせてくれました。
ありがとう、セイイチ。じゃあまたな!
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。