
山仲間の近況:高校時代から現在へ マカピーな日々 ♯1669
マカピーです。
ホシマンから近況報告があったんです。
ホシマンの返事
久々に高校時代の友達のホシマンがメールをくれたんです。
「へー、アイツからね。全く珍しい事があるもんだなあ!」
とよく見ると、なんとホシマンは2年前のマカピーの連絡に返事をしていたのです。
ヤレヤレ
「どうせ、そんなこったろうと思ったよ」(笑)
ホシマンは最近Covid -19にかかり療養していて、暇なのでスマホを見るとしばらくマカピーに返事をしていない事に気が付いたらしいのです。
それにしても、あのタフだったホシマンも病気になるのかと驚きつつも、メールの内容は山岳同好会の仲間の近況報告であれこれ思い出す事がありました。
山岳同好会の奇人たち
ホシマンとは高校1年生の2学期に「山岳同好会」で知り合いました。
マカピーは中学時代から始めたバレーボールを高校でも続けたのですが、夏休みの練習が終わると退部したのでした。
体育教師でもあった元実業団バレーボール部を経験した監督は、県の大会で他校との試合中であろうと自分のチームのプレーが不甲斐ないとタイムを取るとマカピー達を並ばせて端からビンタを見舞という、今日では考えられない指導をしていました。
そんな中でマカピーは同級生の野球部員が夏休み中の練習中に熱中症で倒れそのまま意識不明のまま死んでしまった事故をバレーボール部練習の休み時間に偶然見る事になったんです。
翌日の新聞に記事が載っていて、何か頭の中に衝撃が走ったのです。
そして幾晩か考えた末に「バレーボールは好きだけど、あのチームで時間を潰すことはできない」と確信したんです。
それでマカピーは夏休み明けにバレーボール部の監督に辞表を手渡し、その足で直ぐに中学時代の友達のトシのいた山岳同好会に入部(?)しました。
そこの部活はとても風変わりでなんとも自由でした。
一応体育系の部活ということになっていましたが、それまでやっていたバレーボールや他の野球、サッカー、テニスとは全く違う日々の練習にマカピーには驚きの連続でした。
そもそも「ただ山に登ればいい」と言っても単純ではないのです。
「山に行く」体力づくりはもちろんですが、他の部活と違って衣食住を考えるだけでなく、交通機関を使って移動するからその「計画書」作成などが必用だったのです。
当時は夏山情報などは「山と渓谷」や「岳人」といった雑誌の付録にある「臨時バス運行表」そして分厚い最新「時刻表」などを参考にしながら調べるのです。
現在のように、スマホを使ってあっという間に出来上がり・・・という訳には行かなかった時代だったのです。
しかも悪天候に見舞われて、「停滞」(つまり身動きが取れない状況)となったら計画を変更して中断、またはルート変更も考えなければいけません。
だからNHKラジオで放送気象通報を聴いて天気図つくりをして、天候の変化を予測しました。
その後山の植生に興味を持ち、環境に配慮した開発の在り方などに関心が向いたのは山岳同好会での経験が大きかったと思います。
ましてや、ケガ人が出た際の応急処置なども・・・それまでのスポーツでは
考えた事も無い活動だったんです。
もちろん顧問として夏合宿に見張り役で同行する教師はいましたが、普段は全く自分たちで山行に耐えられる体力とその他の必要な技術を身にをつける部活だったのです。
山岳同好会を取り巻く環境
学校では「部」格になるとかなりの活動支援費が支給されていました。
生徒総会での部への昇格を承認されれば、その支給があると知った山岳同好会メンバーは手分けをして全校の級長に対して「多数派工作」をして見事昇格を勝ち得たのです。
この学校はマカピーの学年だけでも19クラスもあった、かなり大きな私立高校だったんです。
ところが学校側から「待った」がかかり、結局昇格の取り消しが決定されてしまったのです。
山岳同好会が同好会レベルに留め置かれて、活動支援費が制限されていたのは、その活動が「危険視」されていたからでした。
私立高校では、公立高校と違い「風評」を気にしていたのです。
じゃあ、あの野球部の死亡事故はなんだったんだ?
私学としては、甲子園出場とは何よりの宣伝効果があるという費用対効果があったので活動を直ぐに再開していました。
それがもしも山岳同好会部員が山中で遭難ともなれば簡単に「廃部」措置が取られていたでしょう。
マカピーたちは次第にそうした「経済」を知ることになるのでした。
さて群馬県は「上毛三山」と呼ばれる、赤城、榛名、妙義以外にも登山に適した山々に恵まれ、関東一円から絶えることなく沢山の登山客が訪れる土地柄でした。
特に当時の上越国境にある「谷川岳」は冬のスキー、そしてロッククライミングのメッカと言われ人気がありました。
新田次郎の山岳小説なども人気を博し、多くの人が谷川岳に吸い寄せられ岩場で登攀中に墜落するなどで死亡事故が相次ぎました。
度重なる事故で「魔の山」の濡れ衣を着せられた谷川岳は可哀想でした。
それに加えて一般的には「ロッククライミング=死のスポーツ」的な世間の印象だったのです。
学校としても部に昇格させて「連中」を放っておくと、一体何をしでかすか分からないので恐れていたのでしょう。
「雪山」と「ロッククライミング」はしないという条件で同好会テント購入などを認めてもらっていたのです。
つまり、ピクニック的な低山登山だったら歓迎だけど、事故の危険性がある先鋭的な登山に対しては学校側から問題視、警告されていたのでした。
それでも、山岳同好会は学園祭では、校舎屋上からのロープワークで降りる恒例の「懸垂下降」をして見せたりしていたのです。
皆さんも消防署の方が避難訓練のデモンストレーションをするのを見た事がある方も多いと思います。
あれは確かに見ごたえがあるパーフォーマンスなのですが、ただスルーッと降りたら面白くないので、わざとピョーン、ピョーンと跳ねたり、横にブーラブーラしながら降りるのですが、後述するヒロユキさんは教室の窓ガラスを踏み抜くという「荒技」まで披露して、後で「始末書」を書かされていたのでした。
山仲間の近況
一年先輩だったヒロユキさんは数学や物理が得意でしたが、大工の息子で家業を継ぐと決めていていました。温厚な性格でいつもニコニコしていました。彼はとてもしなやかな思考と体力を持ち合わせていて行動力があり仲間の信頼を勝ち得ていました。
そして高校を卒業すると直ぐ父親と大工仕事を開始し、その一方で山岳会に所属して南米最高峰のアコンカグアに挑戦したりしていました。最近はもっぱらマラソンに集中しているのだそうです。
ダスさんは小柄ながら練習していても山に登っても島崎藤村の詩をそらんじていたような勉強熱心で負けず嫌いの性格でした。おそらく希望していた県立高校受験に失敗したのを何とか見返したいという気持ちが強かったのだと思います。
その気持ちがこの学校の多くの生徒を代表していたのは、同じような境遇だったマカピーによく理解できましたが彼は有言実行派でした。
恋愛にも積極的で山行の際にダスさんの彼女が夜行列車の見送りに来ていて別れを惜しんでいたのにはマカピーには眩しく感じられました。
ダスさんはM大学に進学しそして現在は同大学の教授になっていてインターネットで検索すると沢山の書籍を出版しマスコミにも取り上げられるなどいわゆる著名人になってました!
サアノさんは、ボーっとした感じでしたがマジメタイプながらもっさりとした口調が特徴的でした。そして横から茶々を入れるのがタカハシさんで二人は妙なコンビでした。
そのタカハシさんは昼休みの部室で鼻毛を抜いては空気の抜けたサッカーボールに植えこんでいた姿を今でも思い出します。「妙な部活に来てしまった」とマカピーは思ったのです。
大学を卒業するとアサノさんは結婚してタカハシ姓となっていたので二人のタカハシさんが生まれたのですが、ホシマンの話ではオリジナルのタカハシさんは今から数年前に他界していました。
当時のプレハブ部室の様子を思い出していると「マカピーよ、オレの分まで人生を楽しんでくれや!」というタカハシ・オリジナルの声が聞こえました。
同級生4人組
マカピーの同級生4人の仲間で今回近況を教えてくれたホシマンは、大学卒業後はあちこち放浪したあげく結婚して地元に戻りロッジ経営をしています。
ロッジ経営は妻に任せアルバイトの調査先では奇遇にもマカピー弟と知り合い一緒に作業をする間柄になっているのでした。
さらに現在は「孫が7人もいてにぎやかだ」との事で好々爺に変貌していたのです!
コロは小柄ながらいつも眠そうにして鼻水を垂らしてフーラフーラしていたことからヒロユキさんが当時人気のあったピーター・フォーク演じる「刑事コロンボ」に似ていると「コロ」と名付けられてたのでした。
いつもニコニコして独自の諦観を持っていたので、時々マカピーの相談相手になってくれるヤツでした。現在は後輩の造園会社で長らく働いていたけどいよいよ辞める決心をしたとホシマンが教えてくれました。
トシはマカピーを山岳同好会に誘ってくれた恩人?ですが、もともとサッカーをやっていたのに何で山岳同好会を選んだのかよく覚えていません。きっとヒロユキさんの変な勧誘があったのかもしれませんね。
トシは地元の割烹の跡取りで大学卒業後は調理師免許を取得して真っ直ぐ家業を継ぎました。
数年前には「自殺も考えた」重病かかるもなんとか回復し、現在は息子に家業を継がせて引退しているのでした。
山仲間のこれから
鬼籍に入ってしまったタカハシ・オリジナル以外は、山の仲間たちはガタが来た体をさすりながらなんとか元気にしているようです。
そうだ、吉田拓郎の「襟裳岬」の歌詞のように、仲間が集まりそれまでの人生を持ち寄って語り明かすってのはどうだろう?
きっとそれをトシのところで泊りがけでやれたら最高だね!
そう、あの頃のようにみんなでテントの中で合唱したあの歌も道連れにね!
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。ホシマン、報告ありがとう!
いいなと思ったら応援しよう!
