義勇軍と心的外傷 マカピーな日々#0688
マカピーです。
2月末にロシアのウクライナ侵攻があり、マカピーも住民の被害が広がらないうちに、早急に和平交渉が成立して欲しいと願うものです。
それにしても、ウクライナ大統領が「国際義勇軍」を募集すると日本からは70名も応募があり、そのうちの50名が元自衛官だったというニュースにびっくりしました。
いまどき「義勇軍」というものが存在しているとは知りませんでした、というかその昔に作家ヘミングウェイがフランコ大統領のファシスト政権に抵抗して、世界大戦に発展させないために戦った話を思い出しました。
ところが当時は義勇軍として戦って帰国すると、彼らを待っていたいたのは厳しい社会の現実だったそうです(上記PDF参照)
名前こそ勇ましいのですが実態をよく研究した方がよさそうです。
更にフランスの傭兵ビジネスに関わっていた日本人2名も応募していたようですが、ウクライナの希望するのは基本はボランティアで戦火に飛び込むことのできる人(ロシア軍と対峙する)が世の中にいることが驚きです。
マカピーがウズベキスタンで出会ったフランス人の知人は、まさしくそうしたフランスの傭兵の会社で働いていてたのでした。
彼はバルカン半島での活動中、地雷で軍用車両ごと吹き飛ばされ九死に一生を得るのですが、体に障害が残り、会社を退職して事務の仕事に応募してウズベキスタンで仕事をしていたのです。
酒を飲むと必ず彼の口癖は「Life is not fair (人生は公平じゃない)」でしたが、4人の娘の父となっていたこともあり、生々しい軍事作戦の事を口にすることは決してありませんでした。
もう一つはマカピーのカンボジアの仕事で同僚だったトウノさんの話です。
トウノさんは世界各国の紛争地域での民主的な選挙が実施できるようにする活動をしていた経験を持っていました。
もちろん国連監視団が派遣されているような、政情不安の中で活動するのですから、常に危険が隣り合わせです。
ある国では彼の事務所が反政府ゲリラに銃撃され、秘書と床を這って難を逃れた後、国連のヘリコプターで脱出したことがあると語っていました。
そして、また別の国では「スナイパー通り」とよばれる、政府軍と反政府軍両勢力の前線である危険な場所を、一般市民に混ざって一気に走り抜けたエピソードを語った後でボソリと言ったのです。
トウノ:「申し訳ないけどマカピーさん、ボクはこんな平和になってしまったカンボジアで仕事を続けられません。かつてのように硝煙の中を駆け抜けるような興奮がないと、ボクの心が死んでしまうんです」
マカピー:「えー、それって厄介な悩みですね」
どうやら、彼の言行は一度極限状態を経験した人にあるPTSD症状の一種なのかと思いました。
沢山の人が苦しまないように。
紛争が早期終結しますように。
世界が平和でありますように。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。戦争は断固反対