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マカピーな日々 #0047 インドで考えたこと

マカピーです。

結婚する前でした。二十代後半に半年ほどバックパッカーとして東南アジアを回ったことがありました。

最初はバンコク(タイ国)、次にマレイシアのクアラルンプール、南下してジョホールバルからシンガポールへ。そこから東マレーシアのサバ州。再度バンコクに戻り今度はインドのカルカッタに向かったのでした。

本来の旅の目的はインド旅行で、当時の流行り?でマカピーも一人前に「インドで考えて」見たかったのでしたが、1980年代のインドはボリウッドというよりも、結構シュールな世界でした。

バンコクからのフライトで暗いカルカッタ空港に着いたのは夜更けでした。似たようなバックパッカーが三々五々タクシーを拾って宿を探しに出かけるのでマカピーも日本人グループに加わりパラゴンとかいう安宿にたどり着きました。

驚いたのは2月のカルカッタはすごい寒いのでした。しかも安宿だから窓がないようなところでベッドというのがアンコに藁が入っているのですがそれが人の形に凹んでいて、マカピーの意思とは関係なくそこにはまってしまうという代物でした。

寒さとベッドのくぼみでよく眠れなかったので翌朝毛布を買い求めました。地元の人がショールとして体にまとうようなラクダ色のものた。実はバンコクではインド経験者の友人からベッドシーツを貰ってきていました。彼女は「これさえかぶっていれば人種がわからないから便利」と引っ越しで不要となったシーツを餞別としてくれたのでした。

道路に出てみるとそこここで煮炊きをしている人々がいて町全体が煙っぽいのです。何世代もの人が路上で暮らす「路上生活者」の暮らしを垣間見たのはそれが最初でした。英国統治時代の重厚なコロニアル様式の建物群もあり博物館などへ行けばしっかりした展示もあり大したものだなあとおもうのですが、いったんそこから離れると道路には乞食、物売りがあふれかえっていて交通渋滞の交差点をヤギやアヒルの群れを市場に連れてゆく人もいたりして、そのカオス状態に目が回るようでした。

それでもカルカッタの風景に慣れてくると、中華風チョップシーや焼きそばを食べさせてくれる飯屋で一人の日本人に会いました。どうもカルカッタに長いらしくバックパッカー仲間から一目置かれているようでした。一度パラゴンから移りたいと思い、彼の宿であるサルベーションアーミー(救世軍)のドミトリーを訪ねると、枕元にマリア様の額が飾ってありました。「カソリックの人なのかな?」

聞けば、彼はマザーテレサの「死を待つ人の家」デボランティアをしているというので、翌日から二日間その施設で活動することにしました。どうやらシスターたちが町中から野垂れ死にそうな人々を担ぎこんで「安らかな死」を迎えられるようにサービスしているとのことでした。

そもそも半分死んでいるような人達ですから寝具や衣類も汚れるのでそれを洗うんです。マカピーともう一人は大きなゴム引きのエプロンを付け地下に大きなコンクリートの水槽の所へ行きました。利用者が使った毛布の汚れを落とした後、薬液に浸して、さらにゆすいで絞ってだらだら水の垂れる毛布を抱いて屋上に上りそこに干す結構な体力を使うものでした。

そこにはシスターに混ざって多くのボランティアが活動をしていました。ヨーロッパ諸国からの青年が多かったです。マカピーともう一人がぐしょぐしょになって汗水流しているのに、ベッドサイドで英語の子守唄をうたっている金髪の娘さんがいたけど、あれも支援活動の一環なんだろうかしら?って思ったのでした。

翌日は昨日の毛布洗いの後、時間があったので何をしようかとシスターの一人に尋ねるとシャワーを手伝ってくれと言われシャワー室で「あとはよろしく」という感じでほっぽり出されました。自分の担当のシャワー室というか区切りには裸でうずくまるじいちゃんがいました。「????」ここからどうしたらいいのか分からないので、隣のシャワー室の様子を見て納得しました。

シャワー室といっても壁についているシャワーヘッドからお湯が出てくるわけではありません。お湯をバケツに汲んで手桶でお湯をかけながら石鹸を付けて体を洗ってあげるわけです。しかもお尻にはビッシリとうんこがこびりついているではないですか。

自分が何をすべきか分かったマカピーはお湯を汲んで熱くないか確認した後でガタガタ震えているじいちゃんに日本語で語りかけながら(だってヒンディー語が分からないのよ)お湯をかけ石鹸を泡立て、下のこびりつきも落としてゆきました。

マカピーもインドで考えました。

なんでこの人はこの施設にいるのかなあ?日本人の若者に体を洗ってもらうってどんな感じかなあ。自分も年老いたらこんな風になるのかなあ。日本にいるじいちゃんやばあちゃんのお風呂の世話をすることってあるのかなあ。旅もまだ1か月にもなっていないのに、この「死を待つ人の家」にきて、急に日本の家族が懐かしくなったのでした。

さらにバックパッカーの旅は続くのでした。

マカピーでした。


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