記念日に生まれるってこと マカピーな日々#0613
マカピーです。
12月8日はかつて開戦記念日と呼ばれていました。
つまり太平洋戦争勃発の日であり、1941年12月8日に旧帝国海軍が米国ハワイのオアフ島にある真珠湾軍港を攻撃した日です。
オーストラリア人のビルはカンボジアでWHOの代表をしていたのですが60歳の定年で引退のパーティーを開きマカピー達も招待されました。
彼と奥さんのレスリーとはその前の赴任国がネパールで一緒だったこともあり、仕事関係でマカピーとビルが、地元の婦人会でレスリーとマカピー妻が友達となりました。
ビルは医師でWHO勤務で、レスリーは看護師でした。彼女はカトマンズのインターナショナル・クリニックで働いていたのでマカピーの子供たちも予防注射などでお世話になりおなじみでした。
それから彼らも三人兄弟の息子を持ち、当時はすでに成人していましたが、その一人はマカピー長男と同じ英国の寄宿校の同じ寮で、10年ほど差がありましたがネパール育ちの二人が寮長をやるという奇遇さに、そこの舎監も驚いていました。
オーストラリアを家族旅行した際は、シドニーに近い森の中の彼らの家に宿泊した際は子供たちが興奮していました。
それはその家には水道が引かれていなくて雨水利用だったので、レスリーに「トイレでは大きいのをした時以外は水は流さない事」「寝るときは、床に寝袋よ」と注意さたからです。
彼らはネパールの生活に慣れていたので、まったく不便を意に介すどころか野趣たっぷりの生活にご機嫌で、いまでも「あんな家に住みたい」と思い出すそうです。
ほぼ同じ時期にネパールでの仕事を終えて、行った先のカンボジアでも偶然にも一緒だったのです。その彼も遂に引退することになったわけです。
賑やかなパーティーもたけなわとなり、誕生日のケーキがでてきてビルのスピーチがあり、印象深かったのです。
ビル:「皆さん、ボクの誕生日パーティーそしてWHOの職員としての引退パーティーにお越しいただき感謝します。そうですボクも60歳なんですけど今日がが何の日か、皆さん覚えていますか?」
ビル:「そうです、60年前の今日、ボクが生まれた日に日本の航空母艦から飛び立った戦闘機でアメリカの軍港だったパールハーバーを襲って太平洋地域の第二次大戦が開始されたのです」
ビル:「ごめんね、マカピー達のように今晩は日本人の友達も来ていますが戦争の背景やその後の事を言いたいのではないんです」
ビル:「ボクの人生の始まりが戦争開始日だったということ、そして今内戦が終わり平和が訪れたカンボジアで、こうして仕事の区切りがつけられたことの喜びをみんなと祝いたいのです」
誰もが、人に覚えてもらえる記念日に生まれるわけではありません。マカピーの初孫の「なおみ」は本来であればクリスマスあたりが予定日だったのに諸事情から早産となりました。
マカピー長男は日本でいう体育の日に生まれたのですが、その後カレンダーに10月10日が休日になる事はほとんどなくなりました。
それは土日に連続した連休とされるシステムが導入されたからです。もっとも彼は英国在住だから関係ないのですけど。
その一方で、マカピー妻はこの国の祭日に生まれたことになります。
南アでは12月16日は『Day of Reconcillation(和解の日)』なんです!
ちなみにマカピーは『パリ祭』の誕生ですがフランスの話で、パリに行ってレストランで誕生日を祝えば周囲の見知らぬ人からも、祝福されるかもしれないのですよね!
さて、ビルの誕生日パーティーから20年が経過し、いま世界は本当に平和になっているのでしょうか?
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。