だから、似た人がいたんだって!マカピーな日々#0447
マカピーです。
マカピーは独身時代、インドのバックパッカー旅行で『他人の空似』を実感したのでした。
とにかく安いから、とすすめられたイラク航空(当時)でタイのバンコクへ行き、更にシンガポールとマレイシアのサバを回りバンコクに戻って準備を整えてからカルカッタで初のインドに入りをしたころは、日本の節分の頃で現地の寒さに震えあがりました。
そこからプーリ、ハイダラバード、マドラスと南下して、一旦スリランカ、モルジブに立ち寄った後、南部ケララ州のトリバンドラムでインド再入国をして気がつけば日本を出発して3か月以上経っていた頃でした。
マカピーはケララ州のバックウォーターの船旅から、今度はタミールバドゥ州の高地(標高2300m)にあるウータカマンドに立ち寄ったのはそこのペリヤール国立公園には野生のトラがいるから見られるかもしれないと思ったからでした。
その冷涼な気候で紅茶の産地でもあり、なんとこんなところにチベッタン難民キャンプがありました。(彼らの故郷であるチベットからは相当な距離があります。寒冷地ということでこちらにキャンプを開設したのでしょうか?)
モンゴロイド系の難民たちは、地元地域住民とは肌の色も、顔かたちが全く異なる異色の存在でしたが、日本人のマカピーにとっては親しみ易い懐かしい顔立ちばかりでした。
彼らは絨毯を織ったり土産物を売って生計を立てていたので、マカピーも何気なくそこへ立ち寄った時のことです。
何と、目の前に3か月ほど前にタイのバンコクでマカピーの旅を見送ってくれた「○○子さん」がいるじゃないですか!
「ええ?なんでこんなところにいるの? こっちに来るなんて言って無かったじゃん? 人が悪いなあ! え、しかも髪を三つ編みにしてチベッタン風も似合うんだねえ!」
とマカピーは懐かしくなって声をかけたんです。
ところが「○○子」さんは不審そうにこちらを見て、連れの女の子と話す言葉を聞いて「あれ?」と違和感が生まれました。
「チベット語もしゃべれるの? うん?なんか変だぞ、そういえば3か月で三つ編みに出来るほど髪の毛も伸びないだろうし。一体どうしちゃったんだ?」
バックパッカーの日本人に突然話しかけられて、彼女は少し身構えているようでしたが、マカピーは近くで彼女を確認して「○○子さん」だと思うのですが、次第に自信が持てなくなるのでした。
今となれば、写真を撮っておけば良かったと思ったのですが、いきなりカメラのレンズを向けるのは「○○子さん」に失礼に感じたので、とりあえず彼らの売っていた小さな土産物を買ったのでした。
Thank you!
やっぱり彼女から日本語は発せられることはありませんでした。
そして更によく見ると昔の日本人の子供のように頬っぺたが赤く垢ぬけないというか、やっぱり川崎育ちの「○○子さん」とは雰囲気が違うようです。
微妙に違うけど、なんてそっくりなんだろう!この『他人の空似』状況を受け入れられないマカピーは悶々としながらキャンプを後にしました。
マカピーは安宿に帰り、さっそく絵ハガキに今日見たことを書いて、日本に戻っているはずの「○○子さん」に送りました。
「貴女の分身とインドで会いましたよ!」って。
その「○○子さん」からの返事を受け取ったのは、更に数週間たったニューデリーの日本大使館に併設されたインフォメーションセンターの郵便受けでした。
当時はスマホもメールもないし、大概長期の旅をする際は、大使館気付けで手紙を出していたんです!
その「○○子さん」からの返事はこんな内容でした。
「ふーん。そんなことがあったんだ。ワタシはラオス人難民と間違えられることがあるよ。でもチベットに親戚はいないし、幽体離脱もしていないから残念ながら彼女は私じゃなかったって事よ!」
「ボクはウータカマンドでそっくりさんに出会ったことがあるんだよ」って話をすることがあるのです。
「その話はもう何度も聞いたわよ!そしてあなたの話は相変わらずオチがなくてつまらない!」と手厳しい反応に、先ほどまでの青春の思い出から現実に引き戻されるのでした。
「それより、ゴミを出さないと収集車が来ちゃう頃よ!」
マカピー妻からの声に、「パブロフの犬」並みに反応し、袋を持って走り出す自分にどこでこうなっちゃったのかなって、チラッと脳裏をかすめるものがあるのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。果たして時間をかけて手紙を交換する間に愛が育まれたのか、それとも妄想が膨れたのかな?