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嫁さんを連れて家に入るな マカピーな日々#0222
マカピーです。
学生のころお世話になった先生の専門は「農村社会学」でした。マカピーは農学科だったのですが、農業経済学科の友達のいるこの研究室が居心地が良くて入り浸っていたのです。
その先生が、卒業生が結婚して農家を継ごうという時に必ずおっしゃるのが「君、家を継ぐにしても家に入っちゃだめだ。面倒のようだけど近くのアパートあたりで新婚生活を始めなさい」というものでした。
1980年代頃のお話です。
「先生、大丈夫です。僕は大家族に生まれ育ったし、家族全員仲がいいんで彼女も新しい環境でもすぐ慣れるでしょう」
「それが君の勘違いなんだ。君は慣れ親しんだ家族といられるけれど君のお嫁さんにとっては全員が赤の他人なんだよ。それを分かってあげるべきです」
先生はそれまで自分の教え子が嫌というほど「嫁姑問題」その他で潰れて行くのを見てきたので口を酸っぱくしてそうおっしゃるのでした。
「それから両親と別居して、奥さんが農業を手伝うのだったら彼女に給料を払いなさい。農家にありがちな伝統的ただ働きに組み込まれないように守ってあげるのは君の役目だ」
「先生、僕だって父親から給金を貰ってないんですよ!」
「じゃあ、この結婚を機会にそうすればいい。新しい農業をするために大学にきて学んだんだろう?」
「そうですけど・・・・」
「君が率先しないで農家や村が変わるわけがない。違うか?」
「・・・・・・」
「私はずっと別居して居ろなんて言わない。子供ができたら面倒を見てもらうこともあるだろう。そのうちに両親も現役を離れる時期が来たら家に入ればいい。だから、時期が来るまでは別居していなさい」
もちろん、すべてのケースが違うので一事が万事と言う訳ではないけれど不幸な事故を回避するために「スープの冷める距離」をしっかり確保することが肝要と先生は説いていました。
さて、あれからずいぶんと時間が流れましたが、現代社会の農村社会は果たしてどうなっているのでしょうか?
マカピーはかつて農家の婿養子になろうと考えていた時期がありました。実際にマカピーの父は婿養子でありながら案外うまくやっていたのを目のあたりにしてきたからそう思ったのかも知れません。
東南アジアの伝統的母系社会では男性が女性側の家に数年入り慣れてから新しい家庭を持つのでした。早い話がサザエさん一家のマスオさん状態なんですね。
父のふるまいを見て、意外とマスオさんでいる方が家の平和が保てるように感じたのでした。
そこでマカピーは大分県のミカン農家の跡取りになろうとして見合いをしたのですが失敗し、更には地元群馬の酪農家の婿養子も目指したのですがうまくゆきませんでした。
そして海外に暮らすことが多くなり、期せずして核家族ですごすことになりました。
ところが、今年は海外に行かず義父母宅の近くに住んでいて、たまたま義母が体調不良となり面倒を見る事が多くなって半分マスオさんをやっているような状況です。
昨年亡くなったマカピーの父は大分県の婿養子の話がつぶれた時に言った言葉があり今でも思い出します。
「お前が考えるほど婿養子も楽じゃないぞ」
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。マカピー的史観を毎日投稿しますので引き続きお読みいただければ嬉しいです。
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