ナベちゃんの決断! マカピーな日々#0769
マカピーです。
博物館が好きなマカピーです。
マカピーは民俗資料館などで昔の農機具など見るとワクワクしてしまうんです。
それは、工夫の様子が良くわかるからです。「ああ、こういう風に作ると良いんだなあ」ってね。
「ナルホド、この角度と感覚が人の作業に適しているんだね」
「人力構造ってこうするのがいいのか!」
「長時間作業する工夫がされているんだね」
「今の時代でも部分的に利用できそうだよね」
「これを手作りするとなると大変だけど、3Dプリンターならできそうかな」
「現代の農機具の原型がここにあるわけだ!」
などといろいろ気付かせてくれるからです。
多くのアジアやアフリカの国々の農機具の発達と変遷を見ると、「鍬(くわ)からいきなりトラクター」的な飛躍があります。
つまり農耕文化の発達にはそれぞれの国の特徴があり農機具も微妙に違ったものとなりました。
多くの作物の原種があり、農耕文化や文明が早くから発達した「肥沃の三日月地帯」と呼ばれる地域では、穀物が盛んに作られ、家畜を飼い定住生活し、灌漑施設ができ農業技術も発達していったわけです。
狩猟に頼るのよりも人口を多く養える定住型農耕文化は、日本でも縄文時代には形成されていたようで、そのあとで中国からの技術も取り入れて発達していったものが資料館でも展示されているわけです。
このあたりの説明はジャレド・ダイアモンドさんの名著『銃・病原菌・鉄』に詳しいのですが、彼は特に日本の独特な立地条件や社会構造の発達にも注目しています。
第二次世界大戦の日本は国際社会の一員として貢献すべく、世界中で国際協力による開発事業にかかわってきました。
その一つが国際協力機構(JICA)という組織です。
もちろん現在の組織形態になるまで変遷を経ていますが、その組織の一部にはマカピーも参加したことのある『海外協力隊(旧 青年海外協力隊 JOCV)』があるんです。
現在は金融を含め多岐にわたる協力を行っているJICAですが、かつての国際協力は、日本の持つ技術移転を中心に行っていました。
つまり、農村開発分野で言えば、いきなり大規模な開拓地に大型トラクターやコンバインを入れて導入する大きなプロジェクト方式もありました。
他方で小規模な農家には水田耕作の技術や都市近郊での商品作物栽培技術を指導するものが多かったのです。
後者ではまさしく、資料館に展示されている技術が活かせたわけなんです。
「自分の協力隊(JOCV)での活動って村人にとって、プラスになったのだろうか?」ってマカピーは今でも考えちゃうんです。
マカピーだけでなく、多かれ少なかれJOCV経験者と話をすると、どうやら同じ思いにとらわれてる人がいるのに気づきます。
「おい、何とかせねば!」っていう声がどこからか聞こえてくるんです。(怖い!笑)
マカピーと同期(軍隊みたいですが、同期隊員の事です。協力隊関係者の間では、自己紹介でも□国○年△次隊というんです!!)のナベちゃんは、先日フェースブックで「定年退職して、再度協力隊に参加します!」ってあったんです。
やっぱり、ここにもいたーっ!
ナベちゃんもこれまで国際協力の現場で働いてきたにもかかわらず、『結論』を求めて再度JOCV活動に身を投じる決断をしたんですね。
ナベちゃん・・・スゲーなあ。
それを知った時にマカピーは「ナベちゃんに先を越された!」って思ったんです。
マカピーは果たして、3か月間の派遣前研修で任国の新しい語学を学習して2年間活動できるでしょうか?
マカピーはナベちゃんの決断をいろいろ想像してみて、素晴らしいなあって思いながらも、マカピーとは違うと感じました。
ナベちゃんと同時期に、マカピーにもかつての協力隊活動したことのあるマレイシアで仕事をするチャンスが巡ってきて、こちらを選択することにしたからです。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。納得して人生を楽しもう