
楽しめなくなったらどうする? マカピーの日々 ♯1628
マカピーです。
成果を出すには、やっぱり楽しまなくっちゃ!
最近本田健さんの著作をAudible で聴いたり、YouTubeでお話を伺ったりしていていろいろ思い出すことがありました。
その中で「事業でも好成績を出すには、楽しむことが大切なんだ」という教えにマカピーはハッと気が付きました。
バレーボールとの出会い
さて、今回も三日続けてのマカピーの群馬ですごした若い時代の出来事です。
特に一時は打ち込んでいたバレーボール部での事になります。
マカピーが中学生に入学すると、どこに入部しようかとウロウロしていると、近所の年長者が「おい、マカピーいいところに来た。バレー部に入れよ!一緒にやろうぜ」と誘ってくれたのでした。
当時は大概どこかの運動部クラブ活動に入るのが普通で文化系とか「帰宅部」というのはあまりない田舎の学校の事でした。
マカピーはあまり考えることなく「じゃあ、そうします」と入部したのですが、それまでドッジボールやソフトボールをやるくらいで、そもそもバレーボールをプレーしたことが無かった全くの初心者のマカピーなのでした。
当時は9人制から6人制バレーボールに変更になり、松平監督率いる男子バレーボール代表がミュンヘンオリンピックで活躍したころの事です。
そのアニメーションドラマ「ミュンヘンへの道」も放映されて人気スポーツの地位を確立した時代だったのでした。
付属中学などではない普通の中学校では、三年生は夏季県大会を終えると引退して高校受験勉強に入るというパターンでした。
つまり実質は2年半しか活動期間が無いのです。
それでも先輩達はバレーボールを楽しみ、研究し、更には学業でもよい成績を収めていていました。
中でも高校もいわゆる県下一といわれる進学校に進学したキャプテンには「ああなりたいなあ」とマカピーは憧れる対象でもありました。
マカピーが一年生で球拾いをしていた頃、その先輩たちは関東大会予選で県2位の成績を収めて東京へ出かけることになり一年生のマカピー達も一緒に連れて行ってもらう事になりとても光栄に思いました。
二年生になると、マカピーも三年生に混ざってレギュラー出場して夏季県大会の郡予選を勝ち抜き、更には県大会で決勝まで進むのですが、昨年の優勝校に惜敗してしまうのでした。
やっぱり優勝の壁は高かった!
キャプテンになる心構え
さて、この大会を終えると三年生が抜けるのでマカピーがキャプテンを引き継ぎチームを引っ張ることになるのでした。
マカピーは二年連続で県下で二位の成績を収めていたチームを引き継ぐことに知らないうちにプレッシャーを感じていたんです。
ところが、夏休み明けの初日にチームメートで同級生の一人が体育の水泳の授業中に溺死してしまったのでした。
彼は心臓疾患を抱えていたので、あまり無理をさせないように一緒に練習していたのですが、頭脳が明晰でマカピーのアシスタント的存在でした。
彼とも「来年の大会でもあの宿敵に挑戦しよう!」と話し合っていたさなかの出来事でした。
急に新キャプテンである自分の自信が揺らぐような気持になった当時の感覚を今でも覚えています。
何とかチームを盛り上げて、強いチームにしなくてはいけないという重圧を
感じながら毎日の練習をし、近隣校との他流試合もこなすのですがどうしても良い成績が納められませんでした。
今当時を振り返ると、マカピーは相当焦っていたのですね。
バレーボールだけでなく、学校の成績もなんだか中途半端になっていました。
翌年いよいよ県大会予選の郡大会で、それまで常勝のわが校だったのに準優勝となってしまい、まさかの県大会進出ならずとなってしまったのです。
なんとも情けない気持ちでしばらく呆然としていました。
クラブ活動が成績にも悪影響を及ぼす?
結局、その後の受験勉強にも身が入らず志望校入学が出来ませんでした。
今だから振り返ってみると分かるのですが、当時のマカピーは一つの出来事を気にしすぎ、引きずってしまったんですね。
そして好成績を残した先輩達はいつも賑やかにして練習中も楽しんでいたのを思い出しました。
ところがマカピーは「勝つこと」ばかりが頭を占めて仲間たちと楽しむことを忘れていたのです。
「勝ち負けは時の運」
だからこそ、プレーそのものを皆で楽しまなくちゃいけなかったんです。
バレーボールを再開した高校時代
その後進学した高校にも同じ中学出身の先輩がいたので、自然とバレーボール部に入りました。
それに部員が少なかったこともあり、マカピーは1年生ながらレギュラーになることが出来ました。
決して弱いチームではないのですが、監督が実業団出身の体育教員で試合中にもビンタするなど体罰をいとわない指導員であったこともあり、どうしても楽しむことが出来ませんでした。
自分自身が激しい練習で疲労しているのに、更に先輩たちの汚れたユニフォームを洗濯する事も1年生の役目でした。
マカピーは自宅から自転車で最寄りの駅に行き4つ目の駅で降りて、更にもう一台の自転車を自転車置き場から引き出して学校に通っていたのですが、学生カバンと大きなスポーツバッグは汚れ物で一杯でした。
自宅に持ち帰ると「なんであなたが先輩のユニフォームを洗わされるの?それって結局私がやることになってるじゃないの」と母が呆れていまいた。
マカピーは同じ一年生のチームメイトに「オレたちの代になったらこんなこと後輩にさせないようにしようぜ!」と話し合っていました。
ところが、同学年のチームメートが次々に抜けてしまいます。
そして中学時代は野球部だったという彼とマカピーの2人だけになってしまいました。
この分だと来年の2年生の2学期にはマカピーがキャプテンとしてチームを率いる事になりそうで中学生時代の事が脳裏をかすめていました。
どうしたらいいんだろう?
好きなバレーボールを辞める決心
そんな中、夏休みの激しい練習中に体育館からでて、外に出て休憩しながら一段下のグラウンドの野球部のランニングを何気なく見ていた時の事のです。
グラウンドを何週かするランニングする隊列の中の一人がパタンと倒れてたのです。
彼はそのまま動かなくなったのです。
ヤバくない?
直ぐに周囲の仲間が駆け寄り騒いでいるのが分かりました。
そして救急車がきて彼は搬送されたのでしたが、マカピーは練習に入ったのでその後の事は分かりませんでした。
そして、翌朝の地元紙で彼が亡くなったことが分かりました。
同じ1年生でしたが同学年の顔も知らない部員でした。
死亡原因は熱中症と脱水症だったのだそうです。
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