クイティオの味付けで人格が分かる?マカピーな日々#0489
マカピーです。
マカピーが結婚を決めた頃だったと思います。
彼女に連れられて神奈川県秦野市に連れて行かれたのは、そこに兄弟のようにしているラオス人がいるからというのでした。
マ:「なんで、ラオス人なの?」
未妻:「よく我が家に来て、あまり実家に寄り付かない私と弟の代わりに両親の面倒も見てもらってんのよ!」
マ:「だから、なんでラオス人なのよ?」
未妻:「ラオス難民キャンプで知り合ったのよ!」
マ:「え?日本語上手だと思ったけど、キミも難民だったんだ!」
未妻:「フン、バカなこと言ってないで! さあ、この県営アパートよ」
駅からしばらく歩いた所にある県営アパートには定住したインドシナからの難民が数家族が暮らしていました。
訪問したのは、ブンミー(夫:仮名)とラッサミー(妻:仮名)夫妻で二人とも華奢な体つきで、マカピーが初めて会ったラオス人となりました。
2DKのアパートには彼らの日本で生まれた赤ちゃんの「カイ」(仮名)に加えて何故かしらラッサミーのお母さんという白髪のばあちゃんもいました。
マカピー未妻はラオス語で何やら私の事を紹介していたようでした。
するとブンミーが「マカピーさん、ようこそ。まあ一杯どうぞ」と日本風にビールを注いでくれました。
二人は大和市にあった難民センターで日本語を覚えてかなりしゃべれるレベルでした。特にブンミーさんの適応力は素晴らしく、単純労働ではなく普通の会社員としてしっかり仕事をこなしていたんです。
さらに「今度、一緒にゴルフ行きましょう!」と耳打ちされました。
食卓に出てきたのはクイティオというラオスの米のスープ麺でタイでも食べたことがありましたが、やっぱり家庭でもこうして普通に食べる料理だと納得したのでした。
マカピーが、さっそくそのまま食べようとするどうも周囲の様子が違うのです。マカピー未妻までもが、まず砂糖とチリの入った魚醤で味を調えて、更に生のモヤシをガンガンのせて、スダチもしぼります。
マ:「え、これって自分で味つけするの?元の味ってあるでしょ?」
ラッサミー:「それじゃあ足らないの!だからこうして自分の味にするの!」
マ:「ああ、それでいつも食堂のテーブルに同じような調味料があるんだ!」
ブンミー:「まかぴーさん、初めてだから、適当にすればいいんです!」
調味料を少しづつ入れて、まあこんなものかなあと食べようとした瞬間にそれをジッと見ていたばあちゃんが、脇からマカピーのスープをすくい取って味見をすると何やら叫んだのでした。
マ:「え、なんだって?」
未妻:「駄目だ、マズイって!」
マ:「へ?初対面でも手厳しいばあちゃんだなあ」
みんな笑って楽しい夕食でした。
マカピー達はその晩、泊まり込んだのですが、アパートが狭いので台所のテーブルを寄せて床で寝ましたが、マカピーはちっとも気になりませんでした。
翌日も午前中に借りている畑を見に行ったり、ブンミーさんの運転する赤い車でドライブしたりして、楽しい時間が過ぎるといよいよ帰る時間が来ました。
彼らのアパートでマカピー達がワイ(合掌)をしてお別れするときに、鋭い眼光のばあちゃんがまたブツブツ言うのでした。
マ:「え、今度は何だって?」
未妻:「おばあちゃん、ワタシに良いムコさんを見つけたな、当たりだ!だって。あのクイティオの味で確信したそうよ」
マ:「あれ?夕べは、けなしていたじゃないか!」
未妻:「味付けで人柄が分かるんだって!」
マ:「ふーん、おばあちゃんも元気でね!」
小田急で新宿に戻る列車の中で未妻がいろいろ説明してくれたので、今回の訪問の背景がいろいろ分かってきました。
マカピー未妻は数年前にタイにあるラオス難民キャンプにボランティア活動で出かけた際にラッサミーとその姉のニン(仮名)に出会った。
姉のニンは東京の大学看護学科在学中に本国が政変で難民となってしまった。
妹のラッサミーは本国で反乱軍に追われ、首都ビエンチャンの前に流れるメコン河を何とか舟で渡り脱出。背後から反乱軍、前方からはタイ軍の銃撃を浴び九死に一生を得る危険な脱出だったそうです。
ニンは難民キャンプの後、定住先でフランス人と結婚して今でもフランスのボルドーに住んでいます。
ラッサミー姉妹がメコン川岸の高級住宅街の住人だったのは、彼らの父親が軍高官だったからで、ニンはリセ(フランス語学校)を卒業し、更に日本へ留学できるほど裕福だったのです。
一方ブンニーは子どもの頃家が大変貧しく、サムロー引き(人力三輪車)でビエンチャンの街を流していたそうで、ラッサミーの家の白く高い壁を見上げて「この家には自分と同じ年の娘がいるらしい」と人伝えに聞いていたそうです。
二人は難民キャンプから日本への定住が決まり、大和のセンターで結婚する事になったのだそうです。
このころ新政府も難民の帰還を認めるようになったけど、世界各地に散らばった定住難民からの仕送りに頼るようになっていたのでした。
何故ラッサミーの母親(ばあちゃん)が日本にいたのかというとブンニーの稼ぎを当てにして日本に来ていたのだそうです。
「ブンミーよ、よく覚えておくがいい。世が世であればお前なんぞ、うちの娘と結婚できなかったのに、ありがたく思いなさい!」
ばあちゃんは、日本に来るとかつての権力の威光をカサにラオス定住難民社会に君臨していたのだそうです。ヤレヤレ
自分の国から命からがら逃げた、インドシナ難民の数奇な運命に出会ったのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。数年前ビエンチャンを訪ねかつての邸宅でばあちゃんと再会しました!