「ふるさと」ってなんなの? マカピーな日々#0491
マカピーです。
COVID-19の影響で群馬の高齢となるマカピー母にも1年以上会いに行けてません。
そればかりか2年前に亡くなった父の法事も、兄家族だけで済ませざるを得なく、群馬訪問計画を立てると感染拡大の波が起こり潰れたのでした。
ようやくマカピーも職域接種し、兄家族も全員ワクチン接種も終えたので満を持して今月のアフリカ行き前に挨拶に行こうと思った矢先に再びコロナ禍第4波での感染者激増で「非常事態宣言」や「蔓延防止等重点措置」が連発されてしまいました!ヤレヤレ
マカピーはたった100kmほど離れたふるさとがやけに遠く感じるのでした。
それで、マカピーは群馬で生まれ育ちましたからふるさとは「ぐんま」と自然に思うのですが、じゃあ自分の子供たちのふるさとはどこになるのだろう?って思うのでした。
マカピー息子三人は海外で生まれて、マカピーの仕事に帯同し各地を転々とし日本に住むことが少ないまま成人しました。
たしかにマカピー妻の両親やマカピーの自宅には親しみがあるはずですが、そこをマカピーが思う「ふるさと」と同じように感じるかと言えば無理があるように思います。
次に考えるのは、そもそも、私たちには「ふるさと」って必要なのでしょうか?っていう事。
「そりゃそうだよ、だって心のよりどころになる場所だろう?」
「文字通りホームタウンやMy birthplace (出生地)って事でしょう」
2年ほど前、マカピーがヨルダン滞在中に遊びに来た三男を地元の方に「彼はイエメンのサナアで生まれたんです」って紹介したら、「そりゃスゴイ!アラブ人だね!」と喜ばれました。
三男はにが笑いしながら「歓迎してもらいありがとうございます。でもボクは確かにサナアで生まれてますが、1歳になる前に帰国してしまっているので全くイエメンでの事を覚えてないんです!」
そりゃそうですよね。
マカピー三男にいつの頃からの記憶があるのか尋ねたら、5年間滞在した次のネパールからだそうです。そこでは彼も近所の幼稚園に行ってました。一番印象があるのは次のカンボジアだったのは5年間小学校に通い、今でも親交のある友だちが出来たからでした。
これも、わかるよなあ。
で、マカピー息子たちは「ふるさと」を必要と思ってるのか?はいまだに不明のままです。
そうだ、マカピーは決めました。
台風が来る前に日帰りで「ふるさと」に行き、マカピー母に会って一緒に墓参りしてきまーす!
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。キリがない感じってホント困るなあ
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