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恩讐の彼方にあるもの マカピーな日々#0585

マカピーです。

なぜこの記事を投稿することになったか、それには理由がありまして、ある方の投稿にコメントした際に、「だったらそのコメントの内容を投稿」してくださいと勧められたからでした(苦笑)

ベトナムのハノイに住んでいたのはホータイ(西湖)のほとりでした。その東端にチュックバックという小さな続きの湖がありこれを埋め立てた道路があるのですがそのほとりにパッとしないコンクリートの碑がありました。

コンクリートの荒いレリーフにはUSAF(U.S. Air Force米空軍)の文字も見え、手をあげて投降するパイロットの姿が中央にありました。

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英語での表記はジョン・シドニー・マケインと書いてあります。当時はまだ存命だった米国大統領候補にもなったジョン・マケイン上院議員がここで撃墜され、捕虜として生き返ったベトナム戦争の英雄の記念碑だったのでした。

マカピーはその碑の先にある鎮国寺に行くことが多かったのです。その帰りに有名な、それでいて素朴なアイスクリームを買ってなめながらマケインの碑を横目に帰ってくるのでした。

米軍の将軍の息子でもあったマケインさんは、ベトナム側にとっても価値ある捕虜だったので、瀕死の彼を助けたとあります。

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それえも相当劣悪な環境のホアロー捕虜収容所は、その名も悪名高き「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれていて沢山の捕虜が命を落としていたので、拷問を受けても生き延びたマケインさんはやはり強靭な精神を持っていたのだと思います。

現在もその一部が博物館として残っていますが、それは隣接地に長期滞在ホテルを建設したからでした。

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たまたまマカピーの友人がそこに住んでいて、霊感が強いその母子は良く部屋に誰かが入ってくる気配がしたと言っていました。

特に娘はまだ幼かったのですが、「あそこに人がいる」と天井の隅を指していたそうです。ヤレヤレ

因みにハノイには各種有名ホテルがあり、ちゃんと本物のヒルトン・ホテルも存在しています。

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いわゆる「北爆」が繰り返され、古都でもあるハノイは徹底的に破壊されます。軍はタンロン遺跡内に地下指令室を建設していたくらいです。

そして日本援助の国立バックマイ病院も焼け落ちました。

ベトナム(越南)は古くは中国に攻められ、元寇もあり、フランスに支配され、日本が来て、またフランスが戻って来たのをやっと追い払ったら、今度は米国がトンデモナイ物量でやってきて南側に傀儡政権を作ってしまったのでした。

それを奪い戻すため祖国奪還を目指したのが「ベトナム戦争」だったんですね。ソ連や中国からの支援を受けて戦ったのでマケインさんは撃ち落とされたわけです。

市内にその名も「B51爆撃機博物館」があります。今でも撃ち落された機体の一部が野ざらしで展示されています。

マカピーはビックリしたんですが、本物の機体ってジェラルミンとか高級材質を使っているのでほとんど錆びないんです。つまり宇宙船と同じで本物は劣化しないんですね。

それを撃ち落とした、ソ連製ミサイルとレーダーシステムも展示されています。(代理戦争だったのがよくわかりますけど)

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その博物館近くの住宅地の池には、いまでも当時墜落した米軍機の尾翼部分が見えるのですが、あの戦争を忘れてはいけないという政府の方針なんでしょうね。

上院議員となったマケインさんはベトナムを訪問して親交を深めるのでした。軍人であったマケインさんには九死に一生を得る経験をしたこの地を訪れる事って特別なものがあったに違いありません。

このベトナム戦争でもイラク戦争でもアフガン戦争でも必ず帰還兵のある割合の人数は精神的なストレスから後遺症に悩む人がいます。

おそらくマケインさんだって、幾度も悪夢にうなされる夜を過ごしたに違いありません。

マカピーがハノイにいたころ、マケインさんを打ち破って2選したオバマ大統領がやってきました。

ベトナムは国を挙げて米国大統領を歓迎し、オバマさんはお忍び?でハノイの街にやってきてハノイ名物の「ブンチャーとビール」を食べて行ったので、そこの店の「オバマ・コンボ」はナンバーワン・メニューとなりました。

戦争はいりません。何といっても、平和が一番です!

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。簡単に崩れる平和だから努力して維持する必要があります。




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