社会に出てゆく武器だったかも マカピーな日々#0350
マカピーです。
随分前に読んだと思っていた沢木耕太郎さんの「彼らの流儀」の第3話に「風の学校」を主宰されていた中田正一さんの事が書かれていてるのが目に留まりました。
「エッ、こんなところに・・・・」
同時性というのか、おそらく沢木さんが中田さんを取材したくらいにマカピーも中田さんに会っていた事を思い出しました。
千葉県の大多喜町で暮らす中田さんはとても穏やかな方で、この人が80歳を過ぎてから「風の学校」を始めたとはにわかに信じられませんでした。
しかも学校と行っても海外で活動する人自身が風の学校という、まるでタンポポの綿毛をつけた種子みたいな事を言っていたのですから、変な人と思いました。
今だったら、もっともっとお話をうかがいたいことが沢山あるのに当時のマカピーときたら「はいはい、確かに珍しい方に会いました」的な失礼な奴だったと思います。
もしも沢木さんの書いた内容を事前に知っていたら・・・・別の会い方もできたでしょうけども、残念ながら過去を変える事はできません。
そうです、これから出来ることは、まだ決まっていない未来を変えてゆくのです。
一昨日にウェビナーを受講して知ったのが「専門バカ」をうまく説明されていて、ああそういう事なのかと長年の問題が氷解する思いでした。
世の中では頻繁に「専門バカになるな!」などといいます。
ウエビナーでの説明ではそれを「専門家バイアス」と呼び、プロになればなるほど、専門分野以外の事柄に関心が行き届かなくなるという事でした。
では、その「専門家バイアス」を解消するにはどうしたら良いのかというと「違うバイアスを持った人との交流」を持つことでバランスをとる、そして新機軸を生み出す「Open Innovation」になるという事でした。
マカピーはさらにこう思います。
やはり専門性を高めて「深掘りする前提」があって、そのうえで異業種との交流などができるとシナジー効果が高まるのだと。
それで思い出したのが、大学の卒論(卒業論文)でした。
マカピーの学校も、これがないと卒業できませんでした。
しかもテーマを決めて、研究するなどデータを集める、そして結論をまとめる作業ですね。その考察が正しいのか担当教授に見てもらい、幾度も推敲するのに結構な手間がかかるのでした。
じゃあ、卒論で何が得られたのか?
(卒論そのものが忘却の彼方になりそうでしたが)
今考えると、それは単に卒業する手段ではなく、社会生活をする卒後で少しでも専門性を高めておくことの大切さを教えてくれたのではないでしょうか?
卒論での「深掘りした経験」を心のよりどころにしていろいろな経験を積むことで幅が加わる事でいろいろな局面を乗り越えて行く力をつける、それが一番の卒業証書になるのだ、と考えた偉い人がいたのかも知れません。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。コロナ禍以前から「N校」など新しい学びのスタイルが広がっているそうですね。