テーブルマウンテン奇譚 マカピーな日々#0623
マカピーです。
テーブル・マウンテンという有名な山が南アのケープタウンにあります。
1085mほどある頂上が平坦なのでとても特徴ある面白い形ですね。
故ネルソン・マンデラ(元大統領)さんはケープタウンの沖合にあるロベン島に17年間も収容されていた時にもこのテーブルマウンテンを見て希望をつないでいたそうです。
この土地はアフリカ最南端近くのケープタウンは海上物流の重要地点で、ポルトガル人の航海士、探検家バーソロミュー・ディアスの喜望峰(ケープタウン近く)の発見、それに続くバスコ・ダ・ガマのインドへの航路発見が、いかに植民地拡大で重要であったかというのが分かります。
気象に左右されることで霧が巻いたり突風が吹くので海難事故が頻発する海域だったのでディアスは「嵐の岬」と名付けたのに、コロンブスの新大陸発見でスペインに後れを取ったポルトガル国王は、この巨万の富をもたらす航路発見に岬の名前を「喜望峰」というとんでもない名前を付けたとされます。
ちなみに喜望峰って日本名ですが、英語ではCape of Good Hopeという事で「岬」なんですよね。山脈の中のピークであれば「峰」でいいと思いますけど、喜望峰って足摺岬などと同じなのに「峰」と名付けた人って誰でしょう?
それに喜望峰って「希望」じゃないんですけどー!!?
マカピーは子供のころから「地理」を習っていて、何故ここが「喜望峰」って命名されたのかずーっと不思議に思っていたんです。
さすがにWikipediaでは「誤訳」ではないかという見解も示されていますが、当時そのことを先生に言ったら「お前はいちいちうるさいから、廊下に立ってなさい」って言われたかもしれませんね!苦笑
マカピーに限らず、子供のころ「冒険」にあこがれ「未知なる土地を訪れる」って凄いなあって想像しながら過ごした人は多いと思います。
それが、次第に大人になると現実を見るようになると「冒険する場所なんてこの地球上に残されたないじゃないか!?」って平気で言うようになっちゃうんですよね。
まだ、地球上のごく一部しか見ていないマカピーも実際に行って見ると「ヒャー、テレビで紹介されたのを観て知ったつもりだけど、実際は全く違うなあ!」って思うことがままあります。
そうなんです、行った気にならないで実際に足を運んでみる事で、あのころの「冒険」は続けられるんですよ!
それにしても、昔の人はすごいっておもいます。そもそも航海が成功すればスポンサー様の国王から褒美ももらえるかもしれないですが、失敗すれば海の藻屑と消える「死」が待っているわけですからね!
そりゃリスクが高いですよ!
オランダを中心とする南アに移民できた人たちだって、決して安全な公開をして到達したわけではないですよね。
それに、その後の生活が保障されたわけでも何でもないのに、新天地を求めて「冒険」の生活になってしまったわけですから。
ケープタウンに入植者が入ったころは、この地域にはたてがみの黒いライオンもたくさんいたのだそうです。
夜になるとトイレが戸外にあるから相当怖かったはずです。夜には外に出なくて済むように家の中に「おまる」が置かれていたとも。
大家さんのエルダとリチャードが明日から、スバルの自家用車でケープタウンに2週間ほどの旅に出かけると言っています。
リチャードが家に戻り、エルダとの会話でたまたまテーブルマウンテンに話題が移ると少し声を落として話してくれました。
エルダ:「今年の2月の事だったの。リチャードの甥っ子がテーブルマウンテンで死んでしまったのよ」
マカピー:「何があったんですか?」
エルダ:「彼は40歳で山登りが趣味でテーブルマウンテンも幾度も登っていたのよ。でも崖から墜落死したんでリチャードは相当ショックだったのよ。今回も車で親戚や友達のところに立ち寄りながら行くんだけど、果たして甥っ子のところに立ち寄り、その家族とクリスマスを祝っていいものかって話しているの」
マカピー妻:「私は山登り好きじゃないですが、実際高い山で下を見ると落ちたら絶対助からないって思うことがよくあるわ」
エルダ:「実際彼のグループの中で、甥の墜落の瞬間を見た人がいなかったので自殺説もささやかれたの。でもそこのガイドが状況を説明して不慮の滑落死という事になったの。確かに山は怖いわよね!」
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。哀しみのテーブルマウンテンですね
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