殺意の瞬間 マカピーな日々#0664
マカピーです。
マカピーはひょんなことから1980年代に半年ほど、東南アジア南アジアを「バックパッカー旅行をしました。
東京からバンコク、ペナン、クアラルンプール、シンガポール、コタキナバル、バンコクに戻ってカルカッタ、ハイダラーバード、マドラス、コロンボ、モルジブ、トリバンドラム、ゴア、ボンベイ、ニューデリー、バラナシ、カトマンズ、バンコク、東京に戻ってきたのでした。
安宿を転々としていたから大金を必要としませんでした。
カトマンズで実家に国際電話をしてマカピー実母から祖母の死期が近いこと聞かなければ、更にインドシナ半島を半年ほど旅を続けるつもりでした。
当時はインターネットもなく。誰もが手にしているのは「地球の歩き方」や「Lonely Planet」そして、現地で出会うバックパッカー同士の口コミが大切な情報源でした。
インドでよくお世話になったのが、「サルベーション・アーミー」のドミトリーでした。アーミー(軍)って何なのよ?って思う人もいるかもしれませんが、れっきとしたキリスト教系の教会です。
そう、「救世軍鍋」といって年末に募金を集めている赤い制服を着た団体で思い出す人もいるかと思います。
なんと、現在マカピーが住んでいる南アのダーバン市の近所にも支部があり、毎朝出勤する際に「懐かしや、その節は大変お世話になりました!」とタクシーの車窓から拝みたくなるのは、宗派を問わず貧乏旅行の若者を泊めてくれた恩義があるからでした。
まあ、安いだけあってドミ(ドミトリー)のバンク・ベッド(二段ベッド)にはシーツもなく、自分で持参したものを利用したものです。
ところが、暗くなるとそのマットレスとピロー(枕)の縫い目から南京虫(ベッドバッグ)が這い出てきて、マカピー達若者の血を吸いまくるのでした。
マカピーとしては多少の献血は問題ないのですが、困るのはその喰われた跡が猛烈痒くなるので困るのです。
搔きむしって悲惨な様子の日本人の若者を安宿で見たときには「なんか、悪い病気ですか?」って尋ねたくらいです。
当時は虫よけスプレーなんていう便利なものがなかったなあ。
だから、マカピーはカサコソ枕元で虫の気配がすると怖くなって、シーツにくるまって廊下の床で寝たこともありました。
さてこうした安宿では、お互いに自分がどこを回ってきたのか伝えて、誰かからこれから行く次の旅先の情報を手に入れるのでした。
「あの国境はヤバいぞ。ハシシを持っていると警察につかまる」「いい宿があるんだ!」「お得なツアーバスもでてるぞ」「今の季節はあの石窟寺院に近寄らない方がいい」「うまい飯屋を見つけたんだ!」こんな感じです。
それから、運が良ければ安宿の片隅には、きっと誰かが置いてい行った古本があるのです!
殆どが英語でしたが、うまくすれば日本語がありました。
ところが、なぜかしらバックパッカー旅行者には同じような本を読む傾向があるのか、「もう読んじゃってるんだよね」なんてことが多かったのです。
それでも、背表紙を見ているとまだ読んだことのない推理小説の文庫本に出会うことがありました。
ラッキー
もちろん、自分の本も重くなるし、次の人のために置いてゆくけど、こうして一日安宿のベランダや近くのカフェで読み続けることがありました。
明日はいよいよ次の場所へ移動する前に、「あともう少しで読み終えるぞ!」と喜んでいよいよ犯人が分かる段になって、愕然としました。
肝心の最後のページが切り取られていたんです!
「・・・・・」
マカピーは怒りで「オノレー!何てことをするんだ、お前なんか殺してやりたい!」と叫んだのでした。
(よい子はマネしちゃだめよ)
それ以来、マカピーは本を選ぶ際には「悪意の切り取り」がないか調べる癖がついてしまいました。
ヤレヤレ
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。きっと、連中は人が困った時の顔を想像するんですね!