ノマドってなんなのかな? マカピーな日々#0363
マカピーです。
映画「Nomadland」を見てきて来ました。
マカピーは観終わった後もその余韻が頭の中で響いていて、しばらくボーっとしていました。
マカピー妻に誘われて見に行ったのですが、実はなんの前情報もなしに見たのでしたが期待以上の印象となりました。
この作品では米国でのノマドの様子を、本物のノマドの人達と共に淡々と描いているのでどこまでが本当でどこまでがフィクションか分からない程で自然な仕上がりに作品の質の高さが感じられました。
マカピーは日本でも車上で暮らしている人がいる事を聞いたことがありますが、映画の主人公のように各種のパートの仕事をしながら暮らすノマドもあるのだと知り新鮮でした。
人生が終焉を迎える前に、旅の中で暮らす選択をしたノマドの人が沢山いるのです。
もちろん、古風な言い方ですと「自分は自宅の畳の上で死にたい」という人もいるわけです。
実際はどうでしょう?
戸建て物件を買って住んで家族と暮らし、やがて子どもたちは独立して家から出て行き、引退して年金生活になったとします。
子どもの家族は同居せずに、ある日夫婦のどちらかが看取られて亡くなった後に、人生の振り出しである「一人」に戻るのは間違いないわけです。
更に一人残されても自分の家を管理することもままならない状態になったら、その家を処分して、どこかの施設に入ることになるかも知れません。
そしたら、かつてその家を終の棲家(ついのすみか)と考えていた事が、むなしく感じられてしまうのかな?
それから「人生何が起こるか分からない、そうなる前にいろいろ考えてもしかたない事だ!」という人もいます。
映画の主人公は鉱山が閉鎖されそこで暮らしていた町が消え伴侶が死んでノマドになったわけですが、日本の各地にも同様の場所が沢山あります。
映画「フラガール」の地元は常磐炭鉱だったし、「長崎の軍艦島」で有名だった端島(はしま)も閉山と共に住民が離散してゆきました。
さらに震災や洪水で家を失った人が、生き残ってもそれをきっかけに定住を辞めてしまう、諦めてしまうケースは少ないくないだろうと思いました。
日本だけではないと思いますが、土地信仰のようなものがある社会の中でノマド的生活を送る人々への風当たりは優しくないです。
でも、もうしばらくするとそうした人がますます増えて「普通」になる日が来る確信のようなものを感じた映画でした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。マカピーはいつかノマドになるかもね。
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