知らずに差別に加担してない?マカピーな日々#0276
マカピーです。
図書館から借りてきた本に「オールアメリカンボーイ」といなんだかカッコよさそうなタイトルを読んで驚いた。
マカピーは表紙のポップなデザインから、てっきり現代米国のティーンエージャーのスクールライフが分かるものと思っていたのです。
確かにそうでしたが、その主題は「差別」であり「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」を扱ったものでした。
今の米国での被差別人種の考え方などがリアルに分かり、夢中で読むうちに幾度かマカピーは知らぬうちに涙が流していました。
マカピーが学生時代の事です、当時本田勝一氏の「殺される側の論理」などに衝撃を覚えた世代なのですが、ルポよりもこうしたフィクションであっても現代に即した作品の持つインパクトに共感しました。
作品中、南アフリカ共和国で人種差別と闘ったディズモンド・ツツ氏の言葉が紹介されています。
「不正が行われている時に中立であろうとするならば、抑圧する側に立つことを選んだことになる」
人のために戦う事は、本当は自分のために戦う事なのです。
でも、これって時として権力に対して異を唱える事になり、その行動をとる際は正直恐怖が付いて回ります。
作品中、高校生がデモを阻止しようとする警察の装甲車両を見て怖くなるのと同じように、日本でもかつては安保闘争など学生デモ参加者もビビる気持ちと闘いながら、大声で自分を奮い立たせながらスクラムを組んでジグザグ行進したのです。
身の回りの不正に目をつむってしまう事が、その勢力をのさばらせてしまうことになる。やがて手におえない組織となってしまうこともありえる。
だから、「それは違うよね」「それは間違っていないかな?」
見て見ぬふりをしないで声をあげないと、自分たちの世界が見るみる汚れてしまいかねないんです。
マカピーは自分が選挙に出て政治家になりたいとか地域のリーダーになりたいとは思いませんが、単純に自分の住む社会で楽しく平和に暮らすのに不当な迷惑行為は困ると思っています。
ただ、そうした考えであっても「オールアメリカンボーイズ」にあるように必ずしもどちらに正義があるのかよく分からないケースやそれまで親しかった友人関係を終わりにすることはかなり勇気のいる事です。
「自分が人にやられて困る事、嫌な事は誰に対してもやらない」
多くの人はそう教わってきたはずなんだけど、それを捻じ曲げて生きている人もいるんですよね。
マカピーは自分自身が知らないうちに抑圧者側となる「サイレントマジョリティー」になっていないか?と考える一冊となりました。
良い本が読めて良かったです。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。