テロの記憶 in New York (13): その後の数年
▶シリーズ初回
テロの記憶 in New York (1): 始まり
https://note.com/maca39inches/n/n37d2051568e3
▶前回
テロの記憶 in New York (12): 10月~12月、BMCC再開
https://note.com/maca39inches/n/nd616984cc014
グラウンド・ゼロの場所以外は、街も生活も平常に戻ったように見えるニューヨークでしたが、私はその後1年ぐらいは、テロの衝撃から抜け出せてはいませんでした。 気持ちのどこかがずっと重たくて、何もやる気にならない、何をしても楽しいと思えない、という感じでした。 また、音に敏感になって、何か大きな音がすると、びくっとしていました。
特に覚えているのは、テロから2か月経った11月12日の朝のこと。 JFK空港から離陸した直後のアメリカン航空機が墜落、地上で巻き添えになった5人を含め260人以上の死者を出すという大事故が起きました。 September 11 attacks の衝撃が全く弱まっていない中、すわテロか、911の続きか、という緊張が走ったのです。
テロではないということが異常な早さで結論づけられましたけども、この日このニュースを聞いて私は、またこれだけの犠牲者が出たということに強烈なショックを受け、何もできなくなったのでした。 私たちはこんなに脆く危うい世の中に生きているのか、という実感だったと思います。
こんなに大勢の人が一瞬で亡くなってしまうことが、起こるのだ。
戦争などではない、私たちの日常の生活の中で。
日常生活の中で起きたテロも、それまで想像もしていなかったことだけど、思いついて実行してしまう人間がいたわけだ。
飛行機にしたって、人間の持つ技術はどんどん発展しているようだけれど、生活も便利になっているようだけど、その技術がなかったときには存在しなかった悲劇が起きるようにもなるということだ。
技術が進歩するにつれて、ひとたび事故が起こったときの被害も、比例して大きくなっている。
人間が生きて活動している限り、こういう事故も事件も避けられないのか。 こんな悲しい事故も、世界のどこかで起こり続けるのか。
ニューヨークだけで、この2か月だけで、どれだけたくさんのものが失われて、どれだけたくさんの悲しみが生まれたことだろう。
大学の授業がある日だったけど、休むという連絡もできないまま、学校に行けないどころか部屋を出ることもできなかったことを覚えています。 その後の数日間はまた、ちょっと異常な精神状態だったと思います。
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