私の天職活動①:同期500人の先頭切って、たった1年で大企業を退職。従ったのは心の声。
天職活動に、実りはある
世の中に溢れかえる天職に関する書籍や記事の多さが、多くの人の「天職を手にしたい」という願望や渇望の大きさを証明しています。しかし、そこで謳われている理論や考え方、行動に時間を投資することに、実りはあるのでしょうか?
私自身、その活動に時間やお金、労力を投じてきた一人として、「実りはある」と断言できます。
数回に渡り、私個人の天職活動をご紹介します。暑くるしく感じられる部分もあるかもしれませんが、誰かの役に立てればと願い、恥を忍んで、胸を張って、シェアしていきます。
「何のために働くのか?」を自問自答し続けた社会人1年目
2004年に期待を胸に入社した会社の内部で起きていたことは、私が就職活動時に思い描いていたものとはまるで異なりました。
世の中を変えるという大志を胸に働く、尊敬できる先輩達に出会えたことは、紛れもない事実でした。
しかしそれ以上に、会社や上司に愚痴を言い、お客様への対応に疲れ果て、上司の叱責に耐えきれず、メンタルを壊してしまう人の多さに、とても驚かされました。多くの方が、毎朝辛そうに出社し、毎日キツそうにPCに向かい、毎晩残りの力を振り絞って新橋の居酒屋に向かっていました。そしてそこで再び、仕事への愚痴を語り合うのです。
かく言う私も、社会人一年目ながらその影響を受け、激務を言い訳にして会社や上司への愚痴をこぼし、深夜まで残業してタクシーで帰宅し、疲れて果てて自宅の玄関で仮眠をとり、シャワーを浴びてまた出社する、という毎日を繰り返した時期もありました。
そんな時期は、出社してPCの前に座ると、決まって不思議な感覚に襲われました。「あれ、ついさっきまでここに座っていたはずだぞ」「昨日と今日の境目は?」「何のために毎日ここに来ているんだっけ?」「何のために働いているんだっけ?」と言った具合に、色んな疑問が疲れてぼーっとした頭の中を駆け巡るのです。
そんな毎日を数ヶ月も過ごす中で、私自身、苦労して入社した会社への愛着も、仕事への情熱も、何とか見せていたギリギリの笑顔も、すっかり無くしていってしまうのでした。
とにかく心の声に従い、周囲の反対を押し切って「7つの習慣」の会社に転職してみた
しかしそれと反比例するように、「人は何のために働くのだろう?」という根源的な疑問への答えを見つけたいという情熱は、日毎に増していきました。
そんなとき、私の手元にあったのが、学生時代に読んで大きな影響を受けた「7つの習慣」の書籍でした。
今から実に40年以上前に書かれた古典ですが、時代を超越して人の在り方に光を照らし続けるその中身は、今なお多くの人に影響を与え続けています。紛れもなく、私もその一人でした。
そしてふと、「7つの習慣の会社に転職してはどうか」という思いが頭をよぎったのです。その会社(フランクリン・コヴィー・ジャパン社)が何をしている会社かも詳しく知らない中で、です。でも、そこに何かしらの答えがあるように思えて仕方がありませんでした。
そして私は、その心の声に従ってみることにしました。
当時はまだ、年功序列と終身雇用が日本企業のメインストリームに横たわっていた時代です。成果主義を導入してうまくいかなった企業の事例が槍玉に挙げられ、成果主義などは日本には根付かないという風潮が蔓延っていたのです。第二新卒という言葉はおろか、転職業界さえほとんど目立たない存在でした。
そのような中で、いわゆる大企業を辞める、しかも一年目に辞めるという選択肢は、会社にも上司にも同期の仲間にさえも、受け入れられない考えでした。実際、私の家族以外の全員から反対を受けました。
今考えても恐ろしい(おかしい)のですが、上司に退職意思を伝えてからの一ヶ月間は、退職届を受理してもらえませんでした。しばしば会議室に呼び出され、会社を「裏切る」ことを叱責され、退職など認めないと脅されました。
私も必死に抵抗し、涙を流し、抗いました。そして何とか、自分の意思を貫くことができたのです。
ただ、正直に言うと、あの頃の会社や上司の対応を理解できないわけではありません。彼らはそのような価値観の中でキャリアを築き、彼らにとっての成功を手にしてきていたわけですから。
しかし、心の声は強く叫んでしました。「このままではいけない」「ここにいてはいけない」と。「7つの習慣の会社」についての情報を集め、何とかツテを頼り、中身のスカスカな履歴書を送りました。その後複数回の面接をクリアし、奇跡的に、研修を売る営業職としての採用が決まったのです。
2005年2月、私は大企業を辞め、全く想像のつかない「7つの習慣の会社」に転職しました。私の転職活動の第1幕が終わり、第2幕が始まりました。
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