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社内にどうしても顔と声が一致しない人がいる。うっかりすると本当にだれかが横でその人の代わりにしゃべっているんじゃないかと思えるくらいなのだ。彼はのんびりした口調で話すが言うことはハッキリと言うし、あまりキビキビ動くという感じではないのに仕事もできるタイプのようで、社内での信頼もあり後輩にも慕われているような人物だ。部署も違うし普段はお昼を一緒にとるようなこともないのだけど、今日はたまたま定食屋で鉢合わせてしまった。狭い店内だ。なんとなくカウンター席に横並びに座り、一緒に食事をとることになった。ぼくは多少不自然になっても彼に抱いている違和感はなるべく隠そうと思った。彼がもし自分で気にしているようなら悪い気もする。どちらからともなく何気ない世間話のようなことを話した。彼の口はよく動いた。しかしその口が言葉を発することはなかった。彼の言葉はテレビから聞こえてきた。若くて元気そうなアナウンサーが街頭で「A社の人が毎朝同じバスに乗ってきて気まずいんですよ朝から気を使いたくなんかないじゃないですか」などと言いながら暇そうな人間にマイクを向けている。これで安心した。おかしいのはぼくだったのだ。