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みーちゃん
脳腫瘍でした
まだ40代
中学生 高校生の子どもがいました
大切な人を置いて
みーちゃんは逝ってしまいました
子どもたちが同級生
はじめての子どもが幼稚園に入った時からの友人
いわゆる〝ママ友〟でした
私自身は〝ママ友〟とは思っていませんでした
私はそんなに器用じゃない
〝ママ友〟なんていう〝くくり〟の
友人なんていりません
みーちゃんがどう思ってくれてたかはわかりません
私はみーちゃんが大好きでした
辛辣な事でも言ってくれて
人づきあいの下手な私の近くに
いつもいてくれました
極端な話
彼女がいなかったら
私は子どもたちの〝保護者〟として
うまく学校関係の事を
こなせなかったかも知れません
術後から抗癌剤治療がはじまり
月の
3分の1が自宅
3分の1が実家
3分の1が病院
そんな生活がずっと続いていました
入院中に訪ねて行きました
副作用で凄く太ってしまったり
髪が薄くなってしまったり
食べられなくなって凄く痩せて来たり
呂律がまわらなくなったり
歩行が困難になってきたり
記憶が曖昧になって来て
訪ねて行った事をすぐに忘れられたり
哀しい現実が訪ねる度に重なって行きました
最後の数回は寝たままで会話も成り立たず
いる間に寝てしまっていました
今日はみーちゃんの所へ行こう…
そう決めた日にアレコレある仕事を済ませ
みーちゃんのいる病院へ向かい……
頭の中でいろんな事を考えます
私が行っても行かなくてもいっしょ
どうせみーちゃんはわからない
その時にわかってもすぐ忘れる
なんの会話も成立しない
行ってもしょうがない
誰も喜ばない
なんにもならない……
そうして病院を通り過ぎて帰宅する…
そんな事が何度もありました
安楽死を選んだ紺美さんはみーちゃんと違い
頭はハッキリしているのに
運動機能だけがどんどん奪われていく
それをブログで痛快 軽妙に書き綴っていました
あまりにも上手い描写に
つい笑みがこぼれてしまうようなブログでした
その人の立場になって考える…
そんな事できるわけありません
私はご飯も食べられるし手足も自由に動くし
抗癌剤の副作用の苦しみも知らないし
そうして苦しんでいる身内もいないから
抗癌剤をいつ止めるとか安楽死を選ぶとか
何をどうするとか一切わからない
どうするのが幸せかとか
どうしてあげるのが思いやりなのかとか
わからない
わかるわけがない
ただわかってるのは
二人とも
もうこの世では会う事ができないって事