2024/11/07日記_庶民の声は報道されない&堤清二の文化戦略
アメリカの選挙終わって、ここにもフィルターバブルあったと自覚した。都知事選の石丸現象も、衆議院総選挙での国民民主やれいわの躍進も自分からは見えていなかった。
選挙期間中はトランプ氏の過激な支持者の様子を多く見た気がする。開票が進んでトランプ氏の当選が濃厚になってくると、現地取材でトランプを支持している一般の人たちの声をいくつか聞けた。生活に困っている人たちがトランプを支持していた。表立って支持できない、隠れ支持者がたくさんいたらしい。大統領選挙のそこにはハリスやバイデンの政策が、そういった人々を取り残してきたということがわかった。海外の情報は、報道機関という社会の上部の階層からの視点に偏っているのかもしれない。足で稼がなければならない、庶民の声は報道されない。
日本の総選挙が示していたことも同じだと思う。ただ、庶民にとってよさそうなことばかり言う人が本当にそれを叶えてくれるのかはわからない。日本では新党が立ち上がって、失望が起きてが繰り返されてきたと思う。でも、どうして罪を犯しているほどのトランプ氏の再登板が望まれるのか、これから解説を聞いてみたい。
今日の午後、妻と散歩に出かけた。とくに目的もなくただただ近所を歩いていたら、途中歩きながら眠くなってきた。ちょうど良い季節は短くて、冬が迫ってきたのを感じる。
昨日書いた『わたしは最悪。』2回目の感想と、最初に観たときの感想を見比べるとだいぶ違っていた。女性だからこその悩みについてはほとんど書いていなかった。
映像の世紀バタフライエフェクト「バブル ふたりのカリスマ経営者」を観た。ダイエーをつくった中内功は大量に買い付けて安く売るスーパーを、西武百貨店を再興させたりパルコをつくった堤清二は文化と消費を組み合わせながら新たな消費をつくっていった。どちらもバブルが弾けると失墜していく。
ぼくはビジネスに希望をもてない中途半端な文化系なので、その両方の才をもっている堤清二のことが気になっていた。『わが記憶、わが記録』というオーラルヒストリーの本を読みながら、文化的なことを愛しながらビジネスを進めていくヒントはないか探ったことがある。
景気の良い時期は、アイデアが生まれ試される。景気が悪くなって街も寂しくなっていくなかで、どんなことができるのか。自分の店も不要不急でも、コスパがいいでもない。でも、お客さんが来てくれるのは食べ物が目的なのはわかっているけど、その根本で食を通して文化を発信していると思っているし、これからもそうしていきたい。