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2024/08/16日記_夏祭り、ひとつの仕事

昨夜は近所のお盆祭りを雰囲気だけ味わいたくって、夕飯も済ましたあとに散歩がてら通過してみた。たくさんの提灯に火が灯っていたりキッチンカーや出店に行列が伸びていたり浴衣を着ている人たちがはしゃいでいるのを見ると夏に浸れている気がして気分がよかった。子どももいないしテレビもない生活をしていると季節はそれこそ体感するものになってしまって四季のようなものが薄れていく。体感するものが生の季節なのかもしれないけれど、人間として脳みそを抱えてしまっている身としてはどうしても四季の文化に疎くなってしまうことも寂しい気もする。

そこそこ大きな規模のその祭りはたこ焼きこそあったけどお好み焼きや焼きそばも見当たらず、タコスにハンバーガーにパエリヤにケバブにといった海外の食べ物が多かった。どの店も行列ができているわけでもなくって、ひとつひとつを見ていくと客が来るのを待ちくたびれたような店もある。祭りの露天なんてその場限りの出会いなのになんで交差がつくのだろうか、SNSで出店者を確認できるのだろうか、人混みの流れがすり抜けてとどまらないそういった店が気になってしまった。

8月になってから鬱っぽい。それは単純に売上が良くないからなのだけど、この暑さでは抗えないと思って仕込みを減らしているから身体は楽なはずだけど、やっぱり気持ちが支配されてしまう。まだ1年通してできていないのだから、打開策もありそうだからそれを考えたりもしているけど、なにより売り上げという数字にやられてしまっているのかもしれない。

ひとつの仕事に依存してるのが良くない。『働くことの人類学』で狩猟採集民ブッシュマンの研究をしている丸山淳子さんの話を聴いてから頭の中で何度も何度も繰り返している。大して専門性のないぼくは会社員のときは会社あっての仕事になってしまう。専門性のある仕事が向いているようには思えなくって、社内の役割でもしっくりくることは一度もなくって、結局どこで働いてもやりがいとか達成感を感じることができなかった。店をやることになって、ぼくの器用貧乏的なところはだいぶ報われて色々なことができてはいる。この夏を通して今の形態に限界を感じたところもあるので、どうにかしたい。店という場があるのだから工夫次第で形態を変えながらやりようがあると思う。

夕方は知り合いが近くのカフェでブリトーのイベントをやっているので買いに行く。今の鞄が大きすぎるので同じブランドの小さいサイズを買ってみた。今更ながら初めてメルカリ。

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