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2024/07/30日記_余計な意味を降ろしてしまった後に残る死との向き合い方
7月の営業が終わって、暑さからか土日の売り上げは良くないけれど、来てくれるだけでありがたいと思うしかない。自分だって散歩にさえ行きたいと思えない暑さなのだからどうしようもない。
夢にかつて勤めていた会社の若い同僚が出てきた。最近そこにいた人がSNSに書いていたの肩書きが変わっていることに気づいた。ついに折れてしまったのだろうか。悪い方に想像してしまうのは好きになれなかった会社だからだと思う。結局あの会社を好きになれなかった、そもそも勤めてきた会社で好きになれたところはなかった。よかった人はいる、でも会社は嫌いで文句ばかり言っていた。夢に出てくることは組織や制度とそこにいた人々であることが多い。抑圧されていたと感じていたものと向き合っているのだろうか。
もうひとつ夢の話、これはドラマ『海のはじまり』をみたことで掘り起こされてきたものだと思う。かつての付き合っていた女性とその子供の男の子が出てきた。もう成人してるでも小さい時のままだった。会社の健康診断は通常は社員しか認められていない。その男の子は戸籍がないらしく健康診断を受けていなかった。社員数人で社長に談判したところ、その子も健康診断を受ける許しが出た。子どもをがいる中で中途半端な対応をしている自分、情けない自分があらわれていた。
村瀬孝生さんと伊藤亜紗さんの対談の続きを見ている。なぜ村瀬さんの話は気持ちが落ち着くのかを考えたりする。うちの母親は元気とへ言えないものの父親と共に助け合いながら生活できている。彼女は(もしその時が来たら)延命治療はしないでねとか言ってる。でもぼくからもはそれ以上の会話の仕方がよくわからない。なんて返したらいいかよくわからない。ぼくも母も今は生きていたいって思っている側にいるから、延命措置なんてしたくないよね、といえる。でもどちらかが(順番的にはおそらく母が)死に近づいていった時、気持ちはどうなるのだろうか。性と同じくらい死もタブーで、もっと話し合えたらいいと思う。
村瀬さんの話を聞いてると、だんだん死に近づいていう様子を感じながら、死にゆく当人もその近親者も、そろそろ死ぬんだなと思いながら死んでいく。あんまり大きなドラマというよりもそんなもんなんだなと思わせてくれる。余計な意味を降ろしてしまった後に残る死との向き合い方なんだと思う。