2024/11/02日記_虚勢の言葉が求められる
午後から晴れるという予想に反して、営業時間中はずっと雨だった。午前中は土砂降りで、11月なのに夏のスコールのようだ。異常気象なんて今さら思わないくらいここ数年で慣れてしまった。
友人が18歳の娘を連れてきた。初めて選挙に行ったというので、いちばん気になっていた国民民主党の見え方について尋ねた。やはりまわりは国民民主指示だらけだという、ラジオで聴いたことを実際に確認できた。
当たり障りのいい言葉を並べて、ぶっ壊してはいけないものまでぶっ壊した党や、無駄を省くといって省いていけないものまで省いた党があった。当時の自分はそのまま受け取って投票した。騙されたと言いたいけれど、よく調べもせず自分に都合のよいイメージを重ねて投票したというでしかない。
そこから学びを経て今がある。同じ言葉でも、発信する側と受け取る側でそのイメージに齟齬が生じるのは当然のことだし、彼らが自分の言葉に忠実かわからないし、こちらもその言葉がすくいとっていないことや、あとから判明することもある。
『地獄が呼んでいる』2ndシーズン、Ep.4にこんなセリフがあった。政府とカルト教団が結託して、新たな女性カリスマを作ろうとする。彼女から世間に啓示を発信することで、民衆をコントロールしようと企んでいる。そのときにどんな言葉を使うべきか議論シーンがあった。
簡潔で力強い表現が欲しいわ
深い言葉に思えるけれど
いざ掘り下げようとするとよく分からなくなる
そんな感じ、お分かり?
紛らわしくてあいまいな意味を持つ言葉
どんな文脈でも筋が通るように思える言
そういう言葉は長く残ります
民衆に理解させてはダメ
理解されたら分析されます
分析されたら畏敬の対象ではなくなります
その発言に中身があるのかないのか、真実なのか、確かめるための情報源や解説は、探す気があれ必ず見つかる。だけどそれくらいの手間をかけられずに、切り取り動画をいくつか参照するだけで判断する人も多いのだろう。
自分の文脈に引っ張り込んで、この人は自分の代弁者だと思いたい、そういう人がいて欲しいと思う気持ちもわからないではない。誰もがそうであるように、リーダーにも表と裏がある、見えている面と見えない面がある。
このドラマのセリフは自民党が発してきたことのようにも思える。でも自分も強くないから、どこかでヒーローを求めてしまう。年の功のひとつは、ヒーローなんて存在しないということが心の底からわかったことだと思う。
キャッチコピー的なものも嫌になる。言葉で人を掴もうとする魂胆には反射的に拒否反応が出てしまう。言葉は使ってなんぼだけれど、それは行動とともにあってほしい。言葉の奴隷にはなりたくない。