2024/10/17日記_恋愛と友情の境目
Podcast「上坂あゆみの私より先に丁寧に暮らすな #91既婚者と友人になるのはアリ?恋愛と友情の境目について」を聴いた。リスナーからの相談メッセージは大体こんな内容だった。だいぶ年上の職場の男性は仕事上で尊敬すべき点もあって話をしてみたい、1度は食事に行ったけど、2度目は迷っている。もし性的な関係を持ち出されたら嫌だし、断ったとしてもそういう目で見られていたとわかるとショック。そんな相談を踏まえて男女の友情はあり得るのか的な話題に展開した。うまく整理できないけど、キワどい話としておもしろく、自分なりに思ったことについて書いてみたくなった。
ぼくは男女の友情はあり得ると思っている、ただそれには条件があって、好きにならないと思う異性に限られる。学生の頃から男同士のノリが得意でなかったから、女友達と話す方が気楽だった。それは友達としては好きだったけど恋愛対象として考えられない相手だった。恋愛対象になるかならないかを自分がどう判断しているのかは朧げだと思う。若いほどに見た目の好みに重心があるし、年を経るほどに見た目の比率が下がって、話していて楽しいとか気があうとか嫌いなものが似ているとか、そういったことが大切になっていった。
好きになる可能性がある人とは友達でい続けるのは難しいと思う。相手に彼氏やパートナーがいれば、片思いというかたちで関係性は続けられるけど、もしその子が彼氏と別れたりすれば、その均衡は崩れる。ぼくにもそういうことがあってその人と付き合ったことがある。ぼくが片思いをしていた期間は相手は友達と思っていたと思うけど、ぼくにとっては片思いを通しての友達で、異性の友達とは違っていた。でも人生も後半を迎えるくらいの年になると、恋愛と友情の境目はどうでもよくなりそうな気もする。一緒に暮らさないでたまにあうくらいの人の方が楽しいということは往々にしてある。
この問題の難しさというか不可解さには、相手の本音がわからないことにある。自分が友達と思っても、相手が友達として付き合っていたとしても、関係が始まった時ほどに確信をもてない。弱いつながりから、回を重ねて友好的な関係が気づかれるのかもしれないけれど、異性の相手に限らずどういう想いを抱いているかはわからない。そういえば、かつて祖父が居た老人ホームでさえそういうことからのトラブルがあった。
男性としては、男は警戒されているとも思っているから、声をかけ難いというのはある。ただいまはぼくにはパートナーがいるので、声をかけやすい気がしている。女性はどうなのだろう、男性そこまで警戒していないのだろうか、逆に女性は他に気にしていることがあるのだろうか。
この話題は話したら楽しそうだけど、身近な友人と言える異性とは気まずくなりそうで話しづらい。先に書いた通り、ぼくの場合、異性の友達=恋愛対象ではない人ということになる。ぼくは女性の友達が欲しいのに、世の中には異性との関係性だと友達と恋愛に優劣があるような気がする。これは恋愛至上主義、結婚至上主義という古臭くて、息苦しい考え方のせいだと思う。恋愛関係と友人関係は全く違ったもので優劣は存在しないのに、あなたは友人関係という2番目の関係なんですよ、と伝えている気がしてしまう。なんだろう、友人関係で十分なのに、むしろそれがいいのにうしろめたさが湧いてくる。自意識過剰で気持ち悪い人に思われているかもしれないけれど。
今日はずっと買おうと思っていた『台湾人の歌舞伎町』が文庫化されていたので購入した。そろそろNetflixで『地獄が呼んでいる』の2ndシーズンがはじまる。1stを忘れてしまったから見直したくなった。河合優実さんが出ている『あんのこと』も観たい。