よみがえる変態

星野源さんのエッセイ『よみがえる変態』を読んだ

この本、3ヶ月くらい前に彼女に勧めてもらったものだ。

最初こそ数ページ読み進めたものの、いつの間にか鞄の底に沈んでいた、自分らしく不義理だ、ずっと持ち歩いたからブックカバーはボロボロだ、申し訳ない。

そんな思いを持ちつつも持ち歩くだけだった時に比べて、読み終えてしまった今、少しは変わることができた気分だ、気分だけな気もするし、そんなこと言っても申し訳ない気がする。

先の一文、何度“気”と言えば気が済むのか、自分の悪い癖だ、ポエムチックな感情に対して、あまりに作り物っぽい自分の吐いた言葉を揶揄して嘘だと決め付ける、その証拠に現実はなにも変わっていない、何もしない自分のままじゃないかと。

大抵その“気“は誰かが言ってきそうなありきたりな意見であり、そんな気がするな、と思うだけの僕では何事も進められないままだ。

いつかそんなツイートをした日にはそんな気がするけどどうなんですか?と聞いて欲しい、お願いします。

脱線してしまったが、改めて『よみがえる変態』を読んだのである。

この本、星野源という今のポップカルチャー界を背負って立つ帝王がその変態としてのこだわりと、忙しすぎる日々や気に食わない出来事、苦しみに溢れた地獄のような日々への愚痴が赤裸々に綴られている。

そしてそういう負の感情とフェティズムと経験を、笑い話として、時に教訓として、そして音楽として昇華していく様が描かれている。

また、大きな病に見舞われ、死を間近に感じ、表現者としてその悲劇を解釈していく様が、実に実直に、かつ爽快に描かれているのは見どころだ。

特に再手術を控えてなお

“辛い病気を面白がり、前向きなものに転化するということは、その病気になった本人でないとできない。周りがやれば不謹慎になってしまうからだ。“

という一文に現れる表現者としての情熱には星野源の強さを感じずにはいられない。

それ以外にも本文中からは一貫して、著者が死に物狂いで努力しながら理想を目指していて、その中で音楽やコメディ、周りの人々の在り方、漫画、エロ、そう言うものとの関係性が紐解かれていく、独自の解釈で語られるフェチズムはどこか滑稽で、どこまでも情熱的だ、いい

皆よもう

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