常識というフィルターの話
タトゥーをしているからとか
髪の毛の色が派手だからとか
それだけの理由で、その人の中身を見ようともしないで、
勝手にフィルターをかけてその人を判断してしまう
そんな世の中が嫌で、
まーゆがこれまで金髪でいたのは、
人は髪の色じゃないよね
自分のしたい髪の色をしていても、生きていけるよねって
そんなことを示したいというのも理由の一つだった。
人間って、物事をパターン化して捉えがちだと思う。
こういう場合は、こうするとか、
例えば、金髪の人は、こんな人だとか、
タトゥーの入っている人は、こうだとか。
そして、大人になるにつれて、そのパターンがいつの間にか自分の中で当たり前になって、
疑うこともなく、それが自分の中の「正解」になって、
それが「常識」ってやつになっていくんだと思う。
そして、たくさんの人は、「常識」を「正解」だと思って疑わなくなってしまっていると思う。
多分その理由は、自分の行動や判断の基準を「正解」に当てはめていた方が、楽だから。
そうすれば、自分が悪者にならなくて済むし、いい人でいられるような感じがするから。
ってのが大きいんじゃないかな?
まーゆも、どちらかというと、「正解」に従って長い間生きてきたから、
もはや、「常識」として自分の中に溶け込んで、気づけなくなってしまっている部分もたくさんあると思う。
日々の生活で気づいてハッとする時もある。
なんだか考えすぎかもしれないとは思うし、
疲れる時もあるけど、それでも、
できるだけ、「常識」というフィルターで判断してしまって、
本当に大切な部分を見失わなうことのないようにいたいな、と思う。