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ホステストラベラーまゆ Journey🥂✈️

覗いてくれてありがとう。まゆです!

私の事をまず知ってもらおうと思って自己紹介兼、私の生い立ちを少し綴ってみようと思います。

私は元々父子家庭で3人兄妹の長女として育ちました。高校生の頃にとあることがきっかけで兄と妹を残し、私だけが母親に引き取られることとなり、そこで初めて自分が知らない4人の弟妹に出会いました。
妹達はとても可愛く、幸せな家庭でした。そう思う反面、日が経つにつれ自分の家族なのに、自分の家なのに"居場所"がわからなくなり"家族"とは何か、自分の居るべき場所さえわからなくなり、日々葛藤しました。とても幸せな家庭。それが私の目には"私の家庭"ではなく"幸せな別の家庭"を眺めている気分になっていました。食卓にいる時も何故か取り残された気分になっていたり心から馴染めていない自分に気が付きました。

その頃から私の夢は自分の居場所をつくること、自分の居場所を探すことでした。


✐2018年 6月   人生初めての一人旅

2018年、私に転機が訪れました。
何かを変えたくて、刺激が欲しくて、
勤めていたアパレル企業を辞め私は人生で初めて旅にでる!と決意しフランスへと向かいました。
なにが背中を押したのか、なにに向かって走っていたのか、、、ただひたすらに新しい世界をみたいと感じ無我夢中で走っていました。

初めてのヨーロッパ。初めての一人旅。
新しい景色にワクワクして、それと同時にまだ見たことない景色をまだ知らない世界をもっと知りたいと強く思いました。

初めての旅はパリ🇫🇷からバルセロナ🇪🇸へ🚲

たくさんの出会いに、たくさんの景色に、、
どんどん旅する楽しみを知り旅の魅力へとハマっていきました。

2018/7/21-パリ出発
2018/8/24スペイン入国
2018/8/29バルセロナ到着


パリからバルセロナまでは約1,244kmの旅路
途中寄り道したり、新しい景色を見に行ったりしながら1日約30-60km移動で挑んだEU旅🚲
そして初めての、野宿。
まだまだ旅も初心者で、テントすらなくてはじめは寝袋1つのみ。夏といえどEUの夜は寒暖差があってすごく冷えました。フランスからスペインまでは山も多くて人家のない区間がずっと続くこともありました。そうするとどうしても野宿は避けて通れない。とりあえずダンボールを探して寒さを凌いだり。日本にいると感じたこと無かったことも、、日本のダンボールは紙と紙の間にウネウネって別の紙があるんです。わかるかな?笑

こんな感じ↑
後から日本を旅して発見したんだけど、このダンボールがね、とっても寝心地も良くなるし暖かいの!!笑
改めて日本の技術にビックリした体験でした。
ホームレスさんがダンボールハウス作る理由もわかった気がしました。一方、EUにあるダンボールは紙1枚のペラッペラなんです。だから寝袋の下に引いても寝心地悪いし、上から被っても寒くて寒くて。
しかも野宿をする時にはなるだけ人目につかないところにいないと危ないから、窪地だったり木が生えているところだったりなんだかそういう環境がより寒くて。寝袋1つで野宿していた頃を思い出すとやっぱり、"人生を生きてる!!"ってあれだけ実感してた時はなかったなと今でも思います。

決して楽しいだけの道のりではなくて、嫌になるほど高い山。長い坂道。突然の豪雨。地図にも載ってない道。数々の試練ともぶつかりました。
猛暑の中の山道で水がなくなった日。
普段は全く車も人すら通らなそうな場所で。不思議な事にたまたま車が通り、偶然にも話しかけてくれ、水をくれたり、寝床をくれたりする。そんな奇跡みたいな事が起こるんです。
これだから、旅はやめられない笑
そんな奇跡が、そんな出会いがとっても嬉しくて、大切で、私のまだ知らない世界を教えてくれました。


✐2018年11月   オーストラリア縦断旅

そしてフランスから帰って約3ヶ月後、、
人力車で世界一周しているチームのルートナビゲーターとして初のチームでオーストラリアの旅に出発しました。

次に当たる壁はチームならではの意見の食い違い。旅中過酷な環境の中、それぞれが熱く旅に対しての情熱があったからこそたくさんぶつかり合い、時には解散の危機にもありました。それぞれのメンバーが自分に問い、話し合い、そして皆と踏ん張り協力し、私はまた新たにチームで活動する大切さ、協調性の重要性を学びました。

今回は人力車で旅をするということもあり、大きな坂道があると自転車組が先に登って自転車を置いて戻り人力車を後ろから押したり、自転車を片手で抱えながら人力車を押したり、1人で旅するのとは全く変わりチームで進むという新しい経験となりました。

2018/11/17-シドニー出発
2018/12/22-メルボルン到着

シドニーからメルボルンまでは約1000kmの旅路
今回のオーストラリア旅ではイベントをメインに、
たくさんの子供達との交流がありました。


✐2019年6月   東京から大阪への旅

オーストラリアから戻って約半年後、、
念願の日本での旅も行ってきました🚲
今回は東京から大阪まで。日本ならではの交流、リスナー様からの差し入れ、応援、また今までとは違う、新しい経験を積みました。

道中、相模原にある祖父母の家に行き、もう動くことの出来なかった祖父へ、いま私がやっている事。どう生きているのかを見せたくて会いに行きました。
祖父はアルツハイマーと癌を発症していて、自宅でのんびりと過ごしていました。私の事も祖父の中では幼少期の私で記憶が止まっていて私と祖父母は、幼少期に離れ離れになってから10年以上会っていなかったので祖父と再会した時には、祖父の中にはもう小さな私しかいなかったから大人になった私を"まゆ"だと認識するのにいつも時間がかかってたんです。だからこの日は、人力車で突然会いに行って追い返されるんじゃないか。孫だと気づいて貰えないんじゃないか。色んな思いを抱えながら会いに行きました。
でも、祖父と会ってみたらちゃんと認識してくれていました。"よく来たね"って歓迎してくれました。私にとっては涙が出るほど嬉しかったです。
生まれた時からずっと一緒に育って、大好きな祖父、祖母だから当時私が父に引き取られた時、本当に苦しくて会いたくて恋しかった人。母に引き取られてからもなかなか会えずにやっと会えた祖父母。だからこそ、ちゃんと成長した姿を、大好きな祖父母を自分の引く人力車に乗せてあげたかった。浅草では叶わなかったけれど、ちゃんと乗せてあげられました。

そしてこの後、祖父は息を引き取りました。まるで私が来るのを待っていたかのように、穏やかに眠りました。祖父のつくってくれたカボチャの煮物が今も恋しい。みんなもそういう思い出の味ってきっとあるよね。
だからいまは祖母に思いっきり甘えなきゃ☺️
祖父は、アルツハイマーがどんなに進行してても、絶対祖母の事だけは忘れなかった。愛の力ってすごいんです。そして、私が会いに行った時、"写真撮るよ"って言うと迷わず祖父は祖母の手を握ったの。ずっとずっと愛が大きくて心の優しい祖父でした。


✐2020年2月   東南アジアの旅

時は流れて2020年、その間にもまた日本を旅したりしていたんだけど長くなるのでまた別の機会に話そうと思います。笑

そして、今回の東南アジア旅では、ラオス、ルアンパバーンからヴァンヴィエンを通りヴィエンチャンへ南下しタイへ入り、ウドンターニーそして、バンコクまで行くルートで旅をしてきました。

初めてのラオス🇱🇦笑顔の国と言われていた通り、フレンドリーで気さくな環境。
ラオスのビールもご飯もとっても美味しくてパクチー好きな私からしたら幸せな食生活でした。
(パクチー、辛いもの苦手だったらキツイかも)

何も無い環境だとこんな感じで野宿したりするんだけど(もうしないから怒らないでね笑)性別が分からないように途中不審者になってみたり…

1人で旅してるとこういう野宿する時は性別分からないようにしたりするので必死で。かといって、私はゲストハウスも苦手で。
ゲストハウスに泊まるなら野宿の方が安全なんじゃないかとか思ってた、、
今は、テント用意したり周りから見えないようにして野宿してます。まぁ、それも危険なんだけど。

何回か、テントの中で眠っている時に外で気配がした時もありました。でも確認するにも怖くて、
大体野宿する時は人気のない場所だから森とか自然が多いところで。だからこそ人か動物かも分からなくて、とっても怖い夜を過ごした事はあるけれど幸いにも無事に朝を迎えられました。

ラオスは本当にワクワクする土地で、ルアンパバーンでは象使いの免許をとってきたり、ヴァンヴィエンではマリファナ村に入ってみたり。
非日常でちょっぴりスリリングな体験もたくさんしてきました。

ラオスの旅は自分史上の中でもトップに入る行ってよかった国上位かもしれないです。
景色も、文化も、自然もとっても素敵で旅しやすい国。バックパッカーが集まると言われるだけあるなぁと感じました。
オシャレな街も好きだけど自然を体いっぱいに取り込むのも大好き!

また、機会があったら絶対戻ります🇱🇦



2020年10月  銀座チック卒業

23歳の誕生日で、約3年お世話になっていた銀座CLUB CHICKを卒業し、起業しました。
今度は昼職に専念して、動画制作を軸にたくさんの仕事を通して経験を積みました。

そして、、皆様が知る私へと近づいてきます。


✐2024年  TikTokライブデビュー

3年間、本業に専念した後、、
2024年元旦、私は銀座CLUB CHICKへと復帰しました。(詳しくは2024年1本目のYouTubeを見てください)が、今度の私には本業があります。自分の会社を守りつつ、チックへ出勤し続けるにはあまりにハードでした。
朝から仕事を始め、夕方に終わりそのまま同伴-出勤、家に着くのは3時過ぎでした。そんな生活をしているうちに身体が追いつかなくなってきて、夜職を続けるのも困難になってきていました。半年程戻っていた銀座CLUB CHICKも7月頃に一旦休業をし、会えなくなってしまったお客様へ向けてTikTokでライブ配信をつけてみました。
そこが私のTikTokライブ配信のはじまりです。お客様はもちろんTikTokの中で出会う人、YouTubeをみて勇気をだしてコメントをくれた人、色んな人との出会いがありました。そんな出会いから私はどんどんTikTokに救われて配信が楽しくなっていきました。

私の目標、夢はTikTokのトップライバーになる事ではありません。
私は旅が好きです。動画制作が好きです。色んなワクワクした瞬間を味わいたいし色んな感情を共有したい。人との出会いも大切にしたいし、私と出会ってよかったと思ってもらいたい。
なので私は皆様と何年先もずっと繋がっていきたいと思っております。それは簡単なことでは無いですね、、TikTokライブは本当に入れ替わりの激しいものだと思ってます。昨日まで枠にいた人が明日にはいなくなるかもしれない。ただその中で私は、本当にかけがえのない一期一会を大切にしたいと思ってます。私を知ってくれた方、応援してくれている方、一人一人と仲良くなりたい。
なので同接を多くというよりは、枠にいる一人一人の絆を大切にしたいです。
これから私はまた、旅に出ます。TikTokライブだったり、YouTubeを通して色んな景色を皆に見せます。時に電波がないところにいるかもしれない。けれど配信できる環境があるならば皆にも感動する景色、私が感じたことを共有したいと思ってます。


最後まで読んでくれてありがとうございます。

長くなりましたが、こういう活動を通して、私の本当の居場所。安心できる場所を皆と一緒につくっていけたらいいのかなと最近感じております。
"家庭"とはまた違うけれど、まゆ枠の中の絆がまた別の"家族"になる。こんな私を見つけてくれて、応援してくれて、温かい言葉をくれて、信じてくれる。こんなに幸せなことは無いです。
そんな見つけてくれた、ここまでこの記事を読んでくれた人たちの為にも私はこれからもずっとずっと笑顔で走り続けたいと思ってます。

旅をしていることもあり、時には心配をかけてしまうこともあるかもしれません。先に謝っておきます、すみません🙇
私も自分の身をしっかり守って安全第一を努めます。

このまゆ枠がいつか本当に自分の居場所になるように、皆様にとっても心の拠り所になりますように、これからも活動を続けていきます。
今後とも温かい目で見守っていてくれたらとても嬉しく思います🕊‎

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