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私的一人じゃないけど一人だよ

最近

 とてもご無沙汰です。私はパートナーと一緒に、公の対応に心を壊して、俗にいう病んでいました。
今、どのタイミングか賢者タイムが訪れて、もうどうでもいい(いい意味で)ができたことで分離できたことが今の笑顔に戻ることが出来ました。パートナーはまだ根深いものが全て取りきれない分、私を助けてくれた分、私がさあせていこうと決めています。

障害について

 今でも残っている障害への偏見や差別はまだまだ消えません。いや消えるはずはないと再確認しています。それはいろんな人がいるし、見え方や思考もありますから無理はないでしょう。でも私は言い続けるつもりです。それは多分ずっと一人でもしていくのでしょうね。ある意味自分との戦いでもあるから。

よく、一人じゃないよ!

 と、聞くのだけど生きてく上で、ある意味みんななくなる時は一人なのだと思うわけです。それまではいろんな人に出会って支えられて生きてくるのだけど、でもどっかで一人でなんで悪いの?もちろんそれで悩んでいる人は、必要と思うからいいのだと思うけど・・・私の中でどこのコミュニティーでよく聞くフレーズなんだと感じることが多いです。う〜ん違和感というのかな。私も全く一人で生きているわけじゃないし、助けてもらっているんだけどさ、なんというかさ、そのフレーズはいつも引っかかるのだよね。

絵本を自費出版しました。なぜ?!

 私も毎日、その障害と向き合うわけだけど、体も心も健康な人には想像もできないその場を穏便に過ごすことの模索、それはすごいエネルギーです。いつも白黒をはっきりして生きてきた私ですが、穏便に過ごすことをどうしていくのかを退院してすぐ浮かんだ方法がありました。ツアーナースをしていた時に、白黒の間にあるグレーを持つ私がいると、仕事がスムーズに進むことを思えて、その場で黙って笑顔で過ごすことで、自分のやりやいことが実行できることを思い出しました。良くも悪くもね。

 そして退院してすぐに書いたストーリーと3回ブラッシュアップした、絵を添えて絵本を自費出版で販売することにしました。
題は『mojinashi』(文字なし)

主人公は私。でもこの主人公はいつも誰かに阻害された感強い、俗にいうマイノリティーの人(私もそうです)や目に見えない障害を持つ人なら誰もが感じている感覚と私がいつも笑顔でいる方法を描いたストーリーです。言葉がない分、色や荒さや素材感を意識してブラッシュアップしました。

mijinashi表紙

言葉は文字だけではない

 私が退院してすぐにパートナーと喧嘩して、言葉がまだ見つからないとき。発症前に習っていた手話がなぜかスラスラと、出てきて嵐のように手話言語を使って反論しました。その時は必死で覚えていないのですが、以後パートナーと笑い話で聞きました。習っている時は手話がスラスラできないといつもテストの時はど緊張でしたが、それを知っているからこそパートナーは思ったのでしょう。手話は指文字だけではないのです。表情や荒さ静けさを合わせた文字なのです。そしてそれを伝えたいならば、そこに心がつくわけなのです。
 そう言えば、海外の仕事が多くあった時には、日本しか出来ない私にローカルスタッフと仲良くなれてしまうのは、伝えたい・知りたいを刺激する何かがあって、繋がったからなんだと実感します。それは文字だけではない非言語に興味がある一つに繋がっていきます。それとサグラダファミリアに死ぬまでいきたいのは、ガウディは字の書き読みが出来ない人とあの大きな壮大なプロジェクトを成し遂げ、何年もかけて死後も受け継げられていることも、全てその思考につながっています。

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一人じゃないけど一人なんだよ

私のこの考えで、進めていくと自分の森と名づけているのですが、自分の世界は独壇場で、自分だけ納得して自分だけ理解していてもいいんなじゃいかと思うのです。そしてそれを楽しむ余力があれば、どこかで楽しめる自分がいることも感じています。もちろんパートナーがいて、愛犬がいて、それぞれの時間や思考があって、それを変えることも強制することもなくていい。同調することのなくていいし、同じ穴の狢でなくていいのです。同じでもどこかしら違意がある。少しのズレでもあった時に気がついたら、とてつもない幻滅や嫌悪感や憎悪感がつく。(もちろんそうでない人もいる)でもそれは人それぞれだし、スタートだって現在地だって違うわけです。だから一人の自分がそれぞれいて、そこで合わさると思った時に、肩を合わせて歩く。歩幅が違ってきたら、またね〜でいいということ。そんな感じでいいのではないかと思うわけです。私はね。


最後に

 私が言いたいのはwell being と言われるけど、well doing でいいんじゃないかなってお思うし、一人でも最高!!でいいのではないかな。もちろんそれで病んでしまうのは違うので、助けてをいえる場所が必要だと思います。今、自宅を開放してコミュニティースペースをしているのは、まず自分の居場所でそこに喫茶利用というくる理由から、自分の現在地確認や話したい人に話すタイミングがあればいいなって思うわけです。皆さんはそんな自分の出場所ありますか?

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失語症の診断を受けた本人が、少し斜めから見た気持ちを見る事ができます。ちょっとすらっと流れる日常を振り返るきっかけになってもらえたらいいな。

いろんな人と触れ合う中で生まれる感覚を紹介 ✅失語症 ✅老後 ✅コミュニティースペース ✅本 ✅カスタム作家

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