
フレスコボール選手とビジネス系ライター、両立への道③フレスコボールとの出会い
フレスコボール日本代表、落合真彩です。
「フレスコボール選手とビジネス系ライター、両立への道」第3回です。
第1回(わたしのスポーツ歴とスポーツ観)、第2回(ビジネス書との出会い)はこちら。
第2回で、目標に向けて動き出すために、前職を辞めたところまで書きました。
第3回は、「フレスコボールとの出会い」です。
偶然の再会
2016年5月。転職活動をしはじめた頃。
数年ぶりに地元で、母校(大学)の参加するソフトボールの大会が開催されるということで、後輩たちの試合を見に行きました。
現役の後輩に連絡を取り、1人で向かったところ……たまたま居合わせたのが、わたしの最初のペアとなる、ありさでした。
ありさは私の大学の2学年下で、ソフト部の後輩。
ですが、大阪出身のありさが卒業後どこで何をしているのか、まったく知らなかった私。
第一声は「え、なんでいるの?」でした(笑)。
そして、フリーでパーソナルトレーナーをしていること、新しいスポーツを広める活動を始めたことを耳にしました。
それが、フレスコボールでした。
ありさは、フレスコボール協会でスタッフとして働きながら、普及活動をしていました。
私が最初にフレスコボールに誘われたのは、その普及活動の一環で、「初心者用の動画を撮影するから」という理由だったと思います(うろ覚え)。
このとき、「趣味」としてではなく、「普及活動への協力」という名目で誘われたのが大きかったな、と今思っています。
その理由は2つ。
1つは、第1回でも書いたんですが、私はスポーツをすることに苦しさを覚えて、しばらくスポーツから離れていました。なので、「スポーツをする」となると、趣味程度だとしても気が進まなかったと思います。
もう1つは、キャリアのゴールとして「自分の名前で生きていきたい」と思っていたので、その実力や人脈をつけるために、新しい活動に対してフットワークが軽くなっていたこと。
だから、まだ日本にきて3年の新しいスポーツ(2013年に日本フレスコボール協会発足)の普及活動に携わるという部分が、自分にとって魅力に映りました。
とまあ理屈を並べましたけど…
今週のしいたけ占いに、
牡羊座の人生が大きく動くときって「損得を超えて、その場のノリで面白そうだったから」という冒険が強くある
と書いてあったんですが、シンプルに言うとまさにそんなノリでした(笑)。
初代女子チャンピオンになる
しかしその動画撮影は前日に取りやめ。
私は予定を空けていたので、ありさから「普通にフレスコボールしましょう」と誘われました。
そして初めてやったのが2016年6月。
このあたりは初めの記事にも書きました。
まったり練習していたら、いつの間にか、その年のジャパンオープンに出場することが決まり(笑)。
この時ふたりとも意識していたのは、「初代女子チャンピオン」という肩書きがあると、今後フレスコボールが普及していったときにその価値が高まるな、ということ。
「なぜわざわざ知名度の低いマイナースポーツをやったのか?」と問われたら、そう答えています。それに、フレスコボールにはなんとなく、この先広がっていきそうな"におい"がした。
だからむしろ競技人口の少ない今がチャンスとも思いました。
そして、とりあえず突っ走って、練習して、初代女王を獲ることができました。
”人生の肥やし”に
ちなみに、ジャパンオープン2016のときに印象的だったのが、開会式か閉会式で窪島会長が話していた言葉。
会長はその場で、「このフレスコボールを、皆さんの”人生の肥やし”にしていただければと思います」というようなことをおっしゃっていました。
この”人生の肥やし”という言葉が、ずっと心に残っていて。(この言葉が、普及に対する会長の想いなのかな、と勝手に想像してます)
自分に置き換えると、フレスコボールを通して、自分のキャリアに何か生かせるかもしれない。
スポーツが比較的得意というのは思っていたので、それと書くことを掛け合わせられないか、出版業界に身をおいて、何かできないか。と考え、とりあえずフレスコボールに今後もかかわっていくことにしました。
だから私のスタンスは、
フレスコボールという「プロジェクト」に参加している
という感じなんです。
2年半前も、今も。
フレスコボールというプロジェクトに参加する
「楽しい!もっと上手くなりたい!」というスタートではなく、
「広めるプロジェクトに参加しよう!」という意識でした。
そのために自分ができることとして、「競技」があったというだけ。
これ、かなり語弊がありそうで怖いんですが…
プロジェクトを前に進めるために自分にできること、自分にしかできないことを考えたときに、ジャパンオープンで優勝した身として、まずは女子のレベルを引き上げていくことかなと思ったんですよね。
そうやって競技をやることに意義を見いだせたから、ここまでやり続けてるんだと思います。
そうじゃなく、ただ趣味として、楽しく週末体動かそうよ!みたいな入り口だったら、正直言って、やってないです。
うーん、
ざわつかせそうな言い方になってしまったかな。。
競技人口を増やすためにはそういう入り口が普通だと思いますが、わたしはそれとはちょっと違いました。ということだけわかってもらえれば大丈夫です。
もちろん、仲間が増えていくなかで、フレスコボールに対する感覚が変わった部分もありました。
みんなで楽しくやるフレスコボールの魅力にもたくさん触れてきたし、今後も多くの人にそれを感じてもらいたいと思ってます。
ただ出発点であり、根本的な動機としては、プロジェクト意識が今でもあるし、もしそれがなくなったら、趣味としてフレスコボールを軽く楽しむかというと、わからないなというのが正直なところ。
「普及に貢献するために、自分の役割として、競技レベルを上げていこう。」
そう思った2016年秋から、私の本当のフレスコボール人生がはじまりました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は、フリーライターになった経緯や、フレスコボールとの相乗効果について書ければと思います。
---------------------------------
ここから先は、有料部分とさせていただきます。
「自分がフレスコボールの競技レベルを引き上げよう」という思いは、2017年頭に突然、加速せざるをえなくなります。
そのときのことを、少し。
ここから先は
¥ 100
「アスリート×ビジネス活動を応援したい」「活動理念に共感できた」「創作物に価値を感じた」という方は、よろしければサポートをお願いします!いただいたサポートは取材・執筆・アスリート活動の資金にさせていただきます。