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映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てから自分の居場所を考えてみる

ボヘミアン・ラプソディ、2回観た。IMAXよかったわ〜。ずっと泣きっぱなしでした。大ヒットも納得のおすすめの映画です。(以降ネタバレ注意! まだ観ていない方は画面を消しちゃってください。)

この映画のなかで私が一番心に響いたのは、
フレディ・マーキュリーが「居場所」を見つけ、音楽を通して魂を叫ぶことができたこと。そしてその声が、世界中の人に共感されたことだ。

Queenメンバーがデビュー前に、大物音楽プロデューサーと初めて会うシーン。他のバンドとの違いは? という彼の質問に対して、フレディの台詞はこういった内容だった。

「俺たちははぐれ者の集まりだ。互いのために音を奏でる。音楽が俺たちの唯一の居場所だ」

こんな痺れる言葉、なかなか言えるもんじゃない。実際のフレディが発言したのかはさておき、彼の生い立ちや、父との関係、当時の流行の音楽、同性愛者であったことへの自問自答、信頼する仲間の裏切りなどから、この台詞にさまざまな彼の考えが凝縮されているように思った。

音楽がフレディを救い、フレディの居場所がQueenであったことが伝わる映画だった。
「居場所」は、私には永遠のテーマだ。
映画を観てからずっと自分の居場所のことを考えている。

自分の居場所とは何だろう

音楽に限らず、俳優や、ダンサー、画家などの表現者の多くは、自分の居場所を求めて活動に没頭している。私の尊敬するアーティストはだいたいそうした在り方だ。どこかコンプレックスを抱えていたり、自己肯定感が低くてずっと自分を突き動かしていたり、内包する自身への怒り、社会に対しての憤りを表現に昇華させてぶつけているのではないかと思う。

私には、正直そうした内包する大きな衝動はなかった。でも、居場所としてまあさマイムの活動は心地の良いものだった。
子役から演技をはじめ、18歳から本格的に演技を学び、20代後半あたりからマイムのプロとして仕事が入り始める。表現することが日常にある反面、表現活動だけは社会への関わりが少なすぎることにとてつもない不安があった。同じ分野の表現者と話しても若い時ほどの刺激がなく、この気持ちをどこに向けたら良いのか憤っていた。とても焦っていた。
そして、「まあさ」を引退しようとマイムを手放してみたことがある。

見つかった自分の居場所

普通に仕事をして、普通に家に帰り、普通に週末を過ごす。
自分の「好き」からかけ離れたことで見えてくる「自分らしさ」とは何かの問いに、納得する解がまったく出てこなかった。とても辛かった。

そのときに初めて、表現者であった自分自身と、表現活動をしている環境や集まる人達が尊いと感じた。家族や仕事の居場所だけでは満たされないのだと、今さらながら気付いた。自分のことを好きになれる、一番自分らしくいられる場所だったことに気付いたのだ。

コミュニティに入る

自分らしくいる場所を元に戻しただけでも満足しないのは分かっていた。
特に、自身の仕事も含めた活動をフルパッケージ化してみて、相対的に比較をしてみたいと考えるようになった。
そこで、環境が大切だと思い、以前から興味のあったコミュニティ「コルクラボ」第5期に応募をする。
このことについてはまた改めて書こうと思うが、選考が通り、念願のラボ生となった。今日はその説明会となる日で、同期となるラボ生と初めて顔を合わせる日となった。
200名?ほどで作り上げる上質なコミュニティを経験した事がなかったので、説明会の全てが新鮮だった。居心地の良い雰囲気を感じ、またひとつ自分の居場所が増えた気もした。
コルクラボ、どうぞよろしくです。

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