【エッセイ】 ことばの匂い、写真家・エッセイスト武田花
ことばの記憶というものはあるものだ。
ことばの記憶といっても、単語を覚えているとか、フレーズを覚えているとか、そういうことではない。文章の持つ特有の流れや著者の息づかい、文脈の醸し出す匂いや湿気や空気感。そんなことが朧げな記憶として自分の身体に付着しているということである。
武田花のフォトエッセイ集を読んでいて、ことばの記憶、と口をついた。
武田花は1990年、『眠そうな町』で第15回木村伊兵衛賞を受賞した写真家、エッセイストである。
彼女の写真集『眠そうな町』を見たくなり府立図書館で探したが蔵書がなく、その代わり、フォトエッセイ集が5冊あった。借りたのは『煙突やニワトリ』『季節のしっぽ』『イカ干しは日向の匂い』の3冊。読みながら、そういえばこんな感じの文章読んだことがある、そう思った。
武田花の文章は特別な匂いを放っている。香りではなく匂い。どこか匂い立つのだ。写真雑誌だったか文芸誌だったのかは覚えていないが、彼女の文章を20・30年前に1度だけ読んだことがある。記憶はかなり不鮮明だが、次のようなことが書かれてあった。
のら猫の写真を撮ろうと思い街角に佇んでいると、見知らぬ男が話しかけてきた。外回りの営業マン。いくつか言葉を交わし話題が尽きると、男はホテルに行かないかと誘った。なぜホテルに誘うのかと糾すと、武田花を街娼だと思った、と言い訳のようなそうでないようなことを言った。
概ねこのような内容だったと思う。2・3ページの短い文だったけれど、彼女が佇んでいる街の情景と営業マンのキモチがとても良く分かる文だった。
今回、改めて彼女の文に接し、どの箇所を読んでも、男と女、人と人との見えないキモチが現れ、20・30年前の文がことばの記憶、ことばの匂いとして、不意に甦ったのである。
写真集『煙突やニワトリ』の「まぐろの町で」にこんな一節がある。
神奈川県三崎港のまぐろ料理専門店でビールを飲みながら刺身定食を食べていたときのこと、
「家族連れ、女のグループに混じって、さっき外車から降りてきた奥村チヨ(*)と青年実業家といった感じのアベックが座っている。奥村チヨに似た人は飲んだり食べたりする仕草にも大変色気があるので、相手の男がとろとろになって見とれていた。こういう2人連れは、こういう所に遊びに来ているのか、と思った。まぐろは思ったよりおいしくなかった。」
ニュートラルな表現が、わたしの中にストンと落ちてきて、わたしにもこんな文章が書ければと思った。
3冊のフォトエッセイ集を見た限りだが、武田花の写真に人間は写り込まない。被写体はのら猫や社会から見捨てられたなんの変哲もない街の情景で、人ではない。それは近代化の流れからこぼれ落ちてしまったものや日常では不要になった異物である。
武田花は人を撮らないのだが、街を肖像写真のように撮っている。写真を見ながらそう思った。朽ち果てようとしている街の情景。そこには、人間の乾いたキモチの反照としての湿りっけを含んだ表情がある。社会的に負である異物をカメラのレンズで拾い上げることで、それを覆い隠すのではなく、あるがままにその存在を肯定する。
写真とは不思議なもので、フレーム内に人を帯同させると、写し込まれた人をキャプションとして異物が特別な意味を持ち特権化される。なんでもない異物からなんでもなさが消えてしまうのだ。すると、写真はたちまち痩せてしまうという背理。意味を持つことで世界が豊かになるのではなく、痩せるという写真のパラドックス。そんなことに気づかせてくれる作品でもある。なぜ人を写し込まないように撮るのか、彼女の写真を見るとそのことが良く分かる。
武田花はわたしなどついつい後退りしそうな怖い所にも行ってしまう超・路上写真家である。
彼女の初期のエッセイ集のストレートな表現には、母親である武田百合子の『富士日記』に通じるところがある。父は作家・中国文学者の武田泰淳。百合子も泰淳もこの世の人ではなくなったけれど、親子3人、のら猫好きのら犬好き下世話好きの面白家族。わたし好みの家族である。
武田花の写真をずっと眺めてみたくなる。
(*)奥村チヨ…1947年生まれの歌手。18歳の時「あなたがいなくても」でデビュー。「ごめんネ…ジロー」が一世を風靡した。
(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)