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映画の扉_cinema

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どんなに移動手段が発達しても世界のすべては見れないから、わたしは映画で世界を知る。
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#宮崎大祐監督

【映画評】 MADE IN YAMATO 宮崎大祐『エリちゃんとクミちゃんの長く平凡な一日』…時間についてのいくつかの覚書

並奏する二のカノン。揺れ動き交錯する音響に浸る愉楽の体験。 タイムカプセルという未来、恐竜という過去、そして「今」という現在。 「今」は更新を前提とする持続する時間であることで、たちまち過去へと追いやられる曖昧さを持つ存在でもある。いまそこに在る(在った)という変貌する時間の曖昧さ。「今」を写真に撮れば、「それは=かつて=あった」というロラン・バルトに帰結する。 右目で見る世界、左目で見る世界。それはコーピー元のないコーピーであり、見ることの根源に、オリジナルの喪失が既

【映画評】 宮崎大祐『#ミトヤマネ』…「ミト」論・序章「遠近法による一元化」

序章…遠近法による一元化 写真はなにも語らない。写真は撮影者の説明なしにはなんの光景であるかもわからない。撮影者が意図的に埋め込ませた、あるいは偶然映り込んでしまったコードによってある程度の素性を知ることはできるが、ロラン・バルトが指摘したように、原理的には〈それは=かつて=あった(ça-a-été)〉ことしか示さない。それ以外のことはなにも語らない。このことは、とりあえずは正しいように思える。 いまここに、2005年6月28日付夕刊の新聞紙面の1面を飾った写真がある。各

【映画評】 宮崎大祐《ニンゲン三部作》 (2) 『I’ll Be Your Mirror』、そして『VIDEOPHOBIA』

本稿は 宮崎大祐《ニンゲン三部作》(1)『Caveman's Elegy』の続編として書かれています。 https://note.com/maas_cinema/n/n4a8b108dcc6b 宮崎大祐『I’ll Be Your Mirror』10分(2021) 本作は宮崎大祐監督の三部構成の作品『ニンゲン三部作』の第二部を成す作品である。 ひとりの男(永山竜弥)、そしてふたりの女優(廣田朋菜、芦那すみれ)が演じるひとりの女。 ルイス・ブニュエル『欲望のあいまいな対象

【映画評】 宮崎大祐『遊歩者』FLANUER 存在・実在性ということ

宮崎大祐監督作品の主題の一つに“出会う/出会わない”がある。そこにあるのは偶然性や憑在性なのだが、それを支えるのは存在、実在性の問題である。わたしは宮崎大祐監督の全ての作品を見たわけではないのだが、見た限りにおいて、存在・実在性をアプリオリに前提としているように思えた。その存在・実在性を簡潔、明快に描いたのが、5分の短編『遊歩者』(2019)である。 『PLASTIC』(2023)が上映される前に、宮崎大祐作品における存在・実在性を『遊歩者』で確認しておこうと思う。 ローラ