マガジンのカバー画像

文学の扉_literature

10
文学について書くとは文字テクストによる文学テキストへの返礼。 なんて無謀な行為なんだ。
運営しているクリエイター

2020年12月の記事一覧

【映画評】 黃亞歷(ホアン・ヤーリー)『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』日曜日式散歩者

映画を見た帰り、京都の中京区にある寺町通りの喫茶店に立ち寄る。 ホアン・ヤーリー『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』(2015)の街並みは、古さの中の前衛という意味で、京都の寺町通りと繋がるものがあるように思う。南北に長い寺町通りの中で、とりわけ二条から丸太町に上ル区域。そこには、老舗の紙屋、茶葉の店、かつてはモダンそのものだった洋菓子店のある街並み。もしかすると、『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』の詩人たちもこの通りを歩いたかもしれない……そんな確証なん

【映画評】 青山真治『路地へ 中上健次の残したフィルム』 路地、層

和歌山県新宮市の被差別部落を舞台にした中上健次の短編集『千年の愉楽』(1982)。同短編集を原作とする若松孝二監督の作品に『千年の愉楽』(2012)がある。誕生と死、その中間二項である“生|性”。血にまみれて生まれ、血にまみれて死んでゆく3人の〝路地〟の男たちと、その生き様を見守る産婆オリュウノオバの物語である。 〝路地〟とは被差別部落のことであり、中上健次により名づけられた用語である。地勢的にも時間的にも、深度を纏った用語である。 中上健次が生前、失われようとする〝路地

【映画評】 レナーテ・ザミ『チェザレ・パヴェーゼ、トリノ - サント・ステファノ・ベルボ』『ブロードウェイ 95年5月』。声となり眼となり

ドイツの映画監督レナーテ・ザミ(Renate Sami 1835〜)の2作品『チェザレ・パヴェーゼ、トリノ — サント・ステファノ・ベルボ』『ブロードウェイ 95年5月』のメモを整理しながら、もし再見できればレビューとしてまとめたいと思っていた。しかし、ドイツでもマイナーな監督であり、まして、日本の地方に住んでいる者に再見の機会はそう簡単には訪れない。このままでは忘却の一途をたどること間違いないだろうから、筋道が見えないながらもメモを再構成し、記事として掲載することにしました

【エッセイ】 岡田利規『部屋に流れる時間の旅』テクストとして読む

『部屋に流れる時間の旅』(新潮2016.4月号に掲載)はKYOTO EXPERIMENT 2016で上演された岡田利規の戯曲。 友人に紹介されて読むことにした。 舞台を観たくもあったのだが、台南にいた時期と重なり、観ることができなかった。 KYOTO EXPERIMENTのウェブには次のように紹介されている。 「前作の『地面と床』では、日本独自に洗練を遂げてきた能楽をも参照しながら、生者と幽霊が行き交う世界が構築されたが、今回はさらに踏み入って、〝死者に対する生者の羨望〟が