もやもや
こんばんは。実は昨日私の誕生日でした。
と言いつつ、人との関わりを心から欲していない時期なので、朝から読みたい本を読み、家族でおいしいケーキ屋さんに行き、ジムでひたすら走ってました。
来年の誕生日はきっとお仕事であると思うので、今回が学生生活最後の誕生日だと思うと涙がちょちょぎれます。
そして、嬉しいことに友人たちからはお誕生日のメッセージを頂きました。一人でも自分の誕生日を祝ってくれる友人がいるって大切だなと、心から思いました。
やはり、その会話の中でも話題になるのは、就活。
結構周りの子は終了してるんですよね~やっぱり。
でも私は、やりたいことがあるから、それに向かって頑張ると思ってまだスーツを着ています。
打って変わって今日は、学校で自分の余暇のための本を借りようと思い、図書館を徘徊していました。
面接の合い間で、学校に行ったためスーツ姿女子が政治学やら、サイコパスの本やら抱えて走り回っている姿は相当気持ち悪かったのかなと思います(笑)
ちなみに今、個人的に勉強していることは心理学、政治心理学、サイコパス、資本主義、哲学と多岐に興味が渡ります。就活をしたおかげで、ここまで興味の対象が拡大しました。
そして帰り道、別の友人と出くわし、また話題になったのは就活。
その友人2人は、大手志望であったり、一般職志望であったりするため、まだ内定が出ていないということ。
周りが決まり出したりして、二人共相当焦っている様子もありました。
うーん。
昨日今日を通して、改めて就職活動の捉え方も人それぞれだな、と気づいたと同時に、かなり「就活」が目的化してしまっていて、個としての意志が消えているように感じました。
ふと、似たような感覚として、受験期を思い出したのです。
大学受験の時も、私は一般受験しましたが、周りの友人は、指定校・自己推薦とセンター試験を待たずして、進学が決まっていました。
皆は○○大学に入れたから、という言葉が口癖になり、一般受験する子たちの居場所がどんどんなくなっていっていた気がします。
今もまさにその状態。
徐々に就活の仕方も変わってきてはいるものの、世の価値観はそう簡単に変わるものではありません。
このもやもやを通して、一つ言えることは、
考えることをやめたらいけないな、ということです。
考えることをやめると、とてつもなく楽ではあるのですが、人間ではなくなる気がします。ある種、物です。
自分はどうしたいの?どうありたいの?何者なの?その物事は、本物なの?何でそうなったの?逆の考え方は?
そうすると、個としての意志を強靭なものにし、目の前の就活を目的としてではなく、ある意味での通過点、ターニングポイントを選ぶこととして捉えられるのだと思っています。
今日は、言葉にすることで私自身に対する戒めです。
だからこそもう少し、この状況も楽しんでみようと思います。
拙い文章となってしまいましたが、今日も徒然なるままに。
おやすみなさい。
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