うたよみん、お前消えるのか……?(Part.2)
前回の続きじゃい!!!
前置きは抜きにして行きましょう!ちなみにこの調子だとPart.8まで続く予定です!!誰が読むねん。
雑誌のコラム欄の中に君がおすすめしてくれた作家の名前
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情景の切り取り方、31音に収めつつ七五調に囚われない程よい力の抜き方、何よりささやかな幸せを語れる感性が自分に残っていたということなど、諸々ひっくるめて割と好きな一首です。
全てにタグをつけるな 全てをお前の所有物にでもする気か
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上の歌から3分でどうしてこの感情に至ったのか。
自分だってハッシュタグを付けた投稿はするんですが、インスタなどの「文節ごとに全部ハッシュタグにする」ような文化には違和感を覚えます。#(任意の助詞) で検索する奴いないだろ。するの?グラマー(インスタグラマーの間違った略称)って。
粉雪の舞うキャンパスで 「今日のテスト、 キツかったよなあ」 とひとり言
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この時期は本当に理解が難しいテスト達に追われていて、しかもコロナ前から付き合いのある大学の友達もほぼいなかった(他のみんなは優秀で、自分と違うカリキュラムで動いていた)ため、まさしく孤独の中にいました。
人間の動機はすべて逃避だよ 最後はいつも死から逃げてる
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前の投稿から大きく期間が空いているので、ネタを溜めていたのかなと思います。単位が取れたかどうかの成績発表が近く、中にはもう落とせない単位もあったので、とにかく逃げたいと考えていた時期でした。
目の前の問題から逃げたところで結局最後に人は死ぬわけですが、「人として生きることから逃げる」と「死から逃げる」は近いものがある気がしています。生と死は自分の中で特に大きいテーマの一つですね。
窓映る君や世界や逆の窓 全部まとめて曇るトンネル
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バスや電車といった乗り物で考え事をしていると、つい歌を考える方向に意識が向くようです。画像の色合いも、トンネルの中で見つめる車窓と、その曇る様子を自分なりに再現しようとしていますね。
窓に映るものの例として、君→世界→逆側の窓と挙げています。君から世界にまで広がった視界が急にすぐそばに引き戻される印象ですね。あるいは世界よりも君の方が、視界に占める割合は大きかったりして。
死ぬのなんか怖くない 生きてる方がずっと怖い どうせ自分だ
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鬱が近付くとどうも生と死について語り出しますね。この中二病的発想は人生のいつ頃まで続くんでしょうか。
(身体だけでも)健康な状態から死ぬのは一瞬の苦しみですが、生きている限りは、いつどこから自分を傷つけるものが飛んでくるか分かりません。自分で自分を傷つけていたとしても、「どうせ自分は変えられない」ということを一番よく知っているのは自分自身。生きるということは怖いことです。
誰にでも 謳えるような 詩を詠む 誰でもない 自分の無駄遣い
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上と似たような歌が続きますね。「歌」や「唄」ではなく「謳」と「詩」を使っています。誰でも思いつく謳い文句のようなありきたりな人生、平凡な詩を紡ぐことしかできない……という嘆きが前半です。でもそうやって人生を無駄遣いすることを選んでいるのは、紛れもない自分じゃないか。というもう一人の自分が後半です。今回「自分」って言葉使いすぎじゃない?
叱る側になって思う あのときの「いいよ」は 失望よりも期待
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ぼくは普段、叱るより叱られることの方が圧倒的に多い(多分人生で誰かを叱った経験自体がほとんどない)人間です。
ただ、この頃はちょっとトラブルがあって自分が叱る側に回ったんですよね。そのときに、「自分を叱ってくれていた人たちってこういう思いだったのかもな~」と何となく考えた歌でした。その後は円満だよ!多分!
ミュートした世界の音が消えたとき 寂しくなるのは勝手すぎるか
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音声にしろ誰かの投稿にしろ手軽にミュートができる時代ですが、そうして周りの音を遮断したらしたで、今度は物足りなく寂しく感じてしまうのもまた人情だと思います。ミュートって機能自体が人間の勝手さを表している気がする。
ハッピーエンドは嘘つきじゃない 都合のいいところしか見ないだけ
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割とよく言われる説ですが、うまく短歌のリズムに収まるな~くらいのノリで投稿していますね。物事は切り取り方でいくらでも見方が変わるので……というのは今更自分が語るまでもないでしょう。
3/14の投稿が連続していますが、その場で思いついてよく考えずに上げていた日だった気がします。なんならもうちょっと連続します。
今回は以上! 三日坊主の化身なのでいつまで続くかビクビクしてます。not快楽。
ではまた。