自分のお葬式の事前相談
私は昨日、過去一(いや、盛った、今年一)衝撃的な再会を果たした
父を亡くしたのは私が26歳の頃だから、たぶん14年前?うろ覚え
その時にお葬式をしてくれた葬儀屋さん
もう、べらぼうに良くしてくれて、葬儀が終わってからも何でもいいから連絡くれていいよ的なこと言ってくれた、たぶん
当時、私は父の看病しかしてなくて
仕事もしてなくて、数少ない友達とも親の死という大きいテーマを分かち合うには重すぎて、県外の病院に通院する元気もなく調子は最悪、孤独だった自分にはその言葉が心の支えになった感じだった気がする
ただ、当時の記憶があまりない
あまりに辛すぎてストンと抜けてるところがある
以来、その葬儀屋さんの車を見かけては、あの人はいいひとだった…と振り返る
何年も前からFBの友達候補のリストに葬儀屋さんが上がってるのは知ってたけど、まさか覚えてるわけないだろうしなと思い、その方の投稿を事あるごとに何周か読んだ(こうして何周も読んでる人は何人かいる)
人の死に普段から接してる方の視点はクソ面白かった
昨日もまた葬儀屋さんの投稿を見てて、思い切ってお礼を言ってみよう!と、昔、父のお葬式をやってもらった者なんですけど今でも感謝してます的なメッセージを送ったら、なんと私が送った手紙の写真が送られてきて、私の事を覚えててくれたらしい
いやービビった
けど自分の送ったメッセージを読み返したら、ちょっと変だった
「私のお葬式を◯◯さんに携わって欲しいので長生きしてください」と私としては100%マジで送ったのだが、文字だけ見たら死を意識してる風になってしまった
そんな気はさらさらなく、本当にいい人だから、その人にお葬式して欲しい
死が目の前かどうかなんて誰にも分からないから、私は今から準備したい、父が亡くなってからずっと思ってる
自分が死に近づいた時どういう選択があるのか?、死後の遺品整理は楽にして欲しい(片付けレベル0のくせに言う)、自分の思い出の整理(コンパクトに)、温かく見送って欲しい、そんな漠然とした希望はある
けれど、エンディングノートを本屋で見てもしっくり来ない
20代から時々ノートに書いているがまとまらない
そうこうしてるうちに、父が亡くなった年齢に近づいてきた
とりあえず式場はおさえておこう、そんだけ
まだまだこれからの人生楽しく生きるためにやってみようと思った
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