相模原事件裁判傍聴記 読書感想文
この事件は絶対に繰り返してはいけない
優生思想など、デリケート、かつ、歴史のある問題
そして何人もの方が犠牲になった
私などが語っていいテーマなのかも分からない
けれど、この事件を忘れたくはない
そして自分の育児や、今後の仕事の虐待防止に活かしていきたい、と素人ながらに思う
上記の難しいテーマについては、この本を通して色々勉強になった
ありがとうございます
やまゆり園という障害者の入所施設にて起きた殺人事件、その裁判の傍聴記を書いたのは雨宮処凛
雨宮処凛といえば、ミニスカ右翼からのゴスロリ作家、最近は生きさせろ!と怒りを表す活動家、けれど繊細な方というイメージ
初期の本は結構読んでて感受性が自分と少し共通点があるな、と思ってる
私は雨宮さんの様にぶっ放せない(ぶっ放すことで自分を解放した人という印象)けど、雨宮さんの人との付き合い方、心の中の煮えたぎりに共感しまくる
けれど、世の中にどれだけ雨宮さんの言う事を理解する人がいるのだろう、という切なさもあった
ただ、今回読んで思ったのは、雨宮さんが伝えてきた事に時代が追いついてきたのかも?という事
雨宮さんの切り口は、かつては「甘え」と捉えらがちだった気がする
けど今は違うんだな、と
あと、この傍聴記録に関心があったのは、犯人が自己愛性パーソナリティ障害ではないか、と当時報道されていたのもある
自己愛性パーソナリティ障害
それがどのような状態を指し示すのか、私は大まかにしか把握してないけれど
私はこのような人と縁がある人生を送ってきた
私が出会ってきた人はだいたいこんな感じ(自己愛性とズレてたらすみません)
人に賞賛されるためであれば見えすいた嘘をついてもどんな事もする
それが人から見たら滑稽な事であっても気づかないし気にしてない
人が皮肉を言っても賞賛だと受け取り喜び、それを言い広める
私の親なのだが
こういうタイプの人を見つけると、瞬時にその事が見抜けるにも関わらず、無意識に自分を生贄に差し出してしまう
私が一番やべえ奴だな、と思っている
というのは、余談だけれど
犯人が自己愛性パーソナリティ障害であるか、どんな精神疾患等があるかは結局分からないまま
けれど、認知の仕方がとても歪んでいる人で、話が噛み合わない、伝わらない、遺族の事をおもうと何も言葉が出てこない
事件前からの虐待の調査、是非進めてほしいな
氷山の一角なのだと思う
もし、働く環境が違ったらこの事件は起きたのか?
環境の整った職場であれば、犯人の言動から察するものが多かったと思う
犯人の思想の芽をつめたのかもしれないし、こんな結果にならなかったのでは?
たられば、になってしまったけれど
今後自分は育児や仕事で大事にしたい事が見つかった
それは、私自身のケアをしっかりしていくこと
心に余裕なく育児や仕事して相手を思いやれなかったら…
他人事ではない
自分の言動を振り返る事は福祉で大事だな、と思った
私は振り返りまくる人生なので、そこを良い方にいかせて行けたらいいなと思う