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桃宝元年:7









「朱色か。それなら朱雀の色だね。」


沙耶の家の中の内側は、卵のような柔らかい黄色に塗られている。

異国の調度品と、この国の調度品が半々の割合で混ざって置かれ、


芯に巻かれた
色とりどりの円柱、
沢山の布のかたまりが

部屋の壁の全面に取り付けられた
巨大な棚の中に寝かせられた状態で
束になって幾つも積まれている。


サンダルを新調した時以来だろうか、
この空間に足を踏み入れるのは久しぶりだ。


テーブルの真ん中に置かれた大きな白磁の器には
白い桃が3つ、入れられている。


透明な茶器の中に張った湯の中に
沙耶が小さな球体をひとつ、ぽちゃん、と落とす。

たちまち
球のかたちは小さくほつれほぐれ
ふわりふわりと開きゆく、


それはまるで水の中で
幾重にも重なりながら絡まり合った
薄いはごろもが

ひとつの意思を持って笑いながら
咲きほころぶようだった。


「水中花のお茶、どうぞ。」


「茉莉花?実物は初めて見たよ。珍しいな。」


「良く知ってるね恵果。
この間船に乗ってやっと届いたお茶、
この香り好きなんだ。」


ジャスミン。初めて聞く単語だった。



水の中に咲く花

横から眺めると美しい海の生き物のようにも見える


この器の中は
きっと海のなかと繋がっていて、小さな魚が近くに泳いでいて―――、


「良いと思う、
阿呼らしくて。

選べる布は限られるけれど

多分問題ない、やってみる。」


「ありがとう、恩に着るよ。」


器の中の花の様子に気をとられて
二人の話の内容が頭に入って来なかったのは

部屋に立ち込めた深い香りのせいでもあるし


沙耶と話をする時の恵果は
他の女の子と話をする時の恵果と
明らかに違うせいでもある。

これは最近の変化だ。
きっかけが何なのかは知らない。

本人は隠しているつもりらしいが
僕には分かる。

3人で会うときは
僕はなんにも気付いてなどいないし
なんにも見てなどいない、

という振り、をしてやる事にしている。


3等分に分けられた液体、
3つの盃に注がれたお茶をゆっくり飲む。

初めて知る、
花の味。


「口の中が、すっきりする。うまい。」


何の面白みのない感想も
恵果に譲る。

沙耶と居る時の恵果は
いつにも増して、言葉の調子が固くなる。


不思議な味だ。
花のお茶はどれもこんなふうなんだろうか。

『花を眺めながら泳ぐ魚の気持ちが分かる、気がする味』だと思った。

初めて綺麗なものを見た魚の気持ち。

胸の中がぐんぐんと高揚し
沸き上がる気持ちが明るい香りに重なり

やがて
頭の中まで届き
今までそこにあったはずの色を一瞬で変え
口の中から鼻に抜ける。


今まで、がどんな色だったのか
もう思い出せない。


恵果の変化のきっかけも
そんな感じだったのかもしれない。

日頃あれだけの女の子達に囲まれながら
何故沙耶なのか、

知りたいけれど
迂闊に聞いてしまったとたん、壮大なバトルが始まり、

僕のことだから、
彼が沙耶の前でかろうじて、
ギリギリのところで保っている、そのプライドの固まりを粉砕しかねない。


本人が隠しているつもりなのだから
今は知らない振り、をするしかない。



沙耶は長い髪を束ねて
この間会った時とは違う髪飾りをつけている。


「せっかくだから
金の刺繍を乗せてあげる、

鳥の羽根のような刺繍
魚の鱗のような刺繍
炎のような刺繍

阿呼、どれにする?」


「全部。」



「なにそれ、
全部、って―――――


・・・ああ、そっか、
そうだ、

じゃあ、3つを混ぜた柄を作ってみようかな。
羽根と鱗と炎を掛け合わせたオリジナルパターン。


形を違えながら永遠に生き続ける不死鳥、実態のない朱雀、

――面白い
イメージが広がる・・

この感じ、消えない内に
作りたい、作るね。」


沙耶は目を輝かせながら桃をひとつ取り、
作業部屋に移った。


そんなの無理だ、とかなんとか、
とにかく彼女の否定文句を受け入れた後で考えよう、
と思って返した言葉でもあったんだけど―――


こういうことが度々あるから
僕は自分の事を、直感や考えずに飛び出す自分の言葉や身体の動きを

いつでも信頼することにしている。


鳥の羽根
魚の鱗
燃える炎

瞬間的に全部欲しい、と思った。
それが真実だ。



同時に僕は
この時代の特性をはっきりと実感し理解し、武者震いをした。


現象のはね返り、
反射が早い。

旧時代よりも
個人の願い、気持ちの通りが良くなっている。
これは則ち物事が実現、具現化するスピードも、早まっている、ということだ。

迷いのない者ほど、それが強まる。
他者との相乗効果で更にスピードが増す。

例えば今の僕と沙耶のように。


これが工の意思であり采配であり
結果のひとつなんだろうか。

歩みを進めたいのは
僕だけじゃなくて、――――――

いや、今は、僕が進めよう。




衣の仕立ては沙耶の家系の生業で

衣の上における表現は
彼女の得意分野だ。


僕たちと同じく、沙耶も

誰に細かく教わらなくとも
そのやり方を『知っている』

生まれた時から
魂がそういうふうに出来ているのだから。



お茶を飲み終え
仕事があるからと先に帰った恵果を見送る。


「居てくれた方がはかどる、
まとうのは阿呼なんだから、」

沙耶からそう言われた僕は
作業部屋に残ることにした。


作業中の凛とした沙耶の様子を見ているのは好きだ。


金の糸の形をとった物質を
水に浸け溶かしながら、

一切の不純物を取り除き

描いた想いだけを
少しずつ入れこみながら
布の上に流す
映し出し、の作業。

布の上を滑る液体は、
再び糸の形に戻り、
布そのものと同化する。

その時にはもう、
刺繍模様の原型が布に転写されている。

針を使わずにこの映し出しが出来るのは、今のところ沙耶だけだ。


「よし、あとは、乾くのを待つだけ。」


深く息を吐きながら
満足気に呟く沙耶を
部屋の窓から差し込む光が照らす。


「髪飾り、似合ってる。」


結局恵果は気がつかなかったようなので、
僕が代わりに言う。



「ありがとう、
お茶と一緒に届いたの。

ちょっと派手かなと思ったんだけど
新しいのも悪くないかなって。」


照れながら
桃をかじる沙耶は
さっきまで張り詰めた顔で衣と向き合っていた彼女とは
別人みたいに見える。

『美しいのは花よりも実―――』
誰の詩だったっけ、




「この朱雀の天衣、きっと阿呼の持つものをぐんと引き出すよ。

乾いたら刺繍の調整をして、裁断、仕立て、
3日もあれば完成する。

楽しみにしてて。」


視覚的にはまだよく見えない刺繍模様。
でも転写は既に成され、布が乾くうちに肉眼でもそれが確認出来るようになる。



「鳥の羽根
魚の鱗
燃える炎


この刺繍は阿呼のものだけど、
私にとって初めてのオリジナルパターン、

なんだか嬉しいな。


新しい、っていいね、


阿呼も桃、食べてってよ。」



美しいのは花よりも実。

誰の詩だったっけ、


ともかく、
沙耶の表情や言葉のひとつひとつ、
この現象の全ては

僕の気持ちに
今、きれいに重なっている。
















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