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母の、「赤川次郎」という名の愛

小学生の頃は、6年連続で「年間で一番本を読んだで賞」を受賞していた。毎月配られる図書便りのなかで、いつも年度末の3月号を心待ちにしていた理由だ。「1位」の欄に自分の名前が載っている図書便りを、誇らしい気持ちで父と母に見せていたのを覚えている。

昼休みは図書室に行くと決めていた。私には何より達成しないといけない目的があった。それは、赤川次郎作品をすべて読破することだ。
小学校1年生の頃から赤川次郎の「三毛猫ホームズシリーズ」をコツコツと読み続けていたのには訳がある。小学校に入学してしばらくしたある日、母が放った一言がきっかけだ。

「お母さんが小学生の頃は、赤川次郎を毎日読んでたなぁ。あんたにゃまだ早いみたいだけどね。」

その頃は、おばあちゃんが買ってくれた千と千尋の神隠しの大型本を寝る前に読むのが日課になっていた。夜が更けてもいつまでも本を閉じない私に半ば辟易していた母は、捨て台詞のように上記の言葉を吐いたのだろう。

Amazonより

私は、子供ながらに闘争心が芽生えた。おばあちゃんに千と千尋の本を買ってもらうとき、「あんた、こんな本もう読めるの!読書家ねぇ」と褒められ、有頂天になっていたからだ。「読書家」というかっこいい響きに、酔いしれていた。まるでノーベル賞を受賞した気分だ。母よ、読書家と呼ばれたこの私に読むのが早い、なんて本あると思うのかい!と、内心怒っていた。

とにかく、千と千尋は卒業しなきゃいけない。

本当はまだ読んでいたい幼心をグッと抑え、小学生のとある昼下がりに図書室へ出向いたのだった。

赤川次郎の棚はすぐ見つかった。「あ」「か」と続く作家はなかなかいないからだ。赤川次郎の本の多さに驚いたのを今でも覚えている。母から事前情報で「三毛猫なんちゃら」というタイトルが面白いと聞いていた。三毛猫なんちゃらはすぐに分かった。20冊以上の三毛猫シリーズがズラーっと並んでいて、「おれたちを読んでくれ」という圧がすごかったのだ。とにかく目に付いた1冊を手に取り、図書カウンターへ持っていった。

家に帰って宿題を終わらせた私は、読みたくて読みたくてたまらない気持ちを抑え、パートから帰宅した母に「借りてきたよ」と報告した。すると、

「あんたに面白さ、分かるかなぁ?」

どこまでも意地が悪い母である。ま、読んでみ、と母お手製の大学芋を持たされた私は歯軋りしながら部屋へ戻り、本のページを開いたのだった。




早く!早くほかの三毛猫シリーズも読みたい!!と大興奮しながら本を閉じたときには、すでに窓の外は真っ暗だった。読み終わったタイミングを知ってか知らずか、ちょうど母が部屋に入ってきた。ご飯ができたことを何度か知らせに来たのに気が付かないほど、私は読みふけっていたらしい。

本を読む前に感じていた母への悔しさは、いつの間にかどこかへ消え失せていた。母は特に何か聞いてくるわけでもなかったけど、ただ一言、

「良かったやろ」

といった。

小学生なのに可愛げもクソもない私は「まぁね」とだけ返事し、今朝、母が言っていた「私、三毛猫ホームズ、ぜんぶは読めんかったわ」という言葉を思い出していた。

母に「やっぱりあんたは正真正銘の読書家や」と言わしめるには。正真正銘の読書家だった母を超えるには。あの面白い物語をもっと自分の心に蓄えるには。

小学生の私が「読書家」としての称号を得るには、赤川次郎の三毛猫シリーズを、読破する以外の道はないのだ。

こうして、私の読書家を目指す6年間の旅が始まったのだった。


今思い返すと、いや、今思い返しても「本を読む」ことに対して褒め称えてくれたって良かったのに、、と思う。でも、それ以上に、おすすめの本を教えてくれたり、ご飯の時間になっても私の好奇心を優先してくれたり、本を買うことにおいてはお金を惜しまず渡してくれたりしたことには感謝せざるを得ない。

読破の旅が終わってから20年近く経った今、私も母も歳を重ねた。母は視力が良くない。活字がなかなか読めなくなっていて、母の読書の旅は途絶えかけているようだ。20年前、無事三毛猫シリーズを読破できてからも、私は読書家として勝手に母と競っていたが、彼女は知らぬ間に勝手にリングから降りてしまった。まったく、勝手な人だ。

それでも、久しぶりに赤川次郎作品に触れて思い出されるのは、母のさり気ない愛だった。今後、読書家としての道は、母の代わりに私が歩もうと思っている。

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