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ちいここ下甑島ツアー5日目(2024/8/30)
イントロ
そろそろ終わらせないと永遠に終わりませんね笑
もう早くも2ヶ月が経ってしまいました、と言いたいところだったのですが、どちらかというと、言ってもまだ2ヶ月か!という印象かもしれません笑
それほど濃い日常を送っております…😵💫
予定決定
さて、写真を見返してみると8/30は帰りの飛行機の検索画面のスクリーンショットから始まっていました。
20:00ごろ鹿児島出発のフライトで
ちょうど8/31にはフェリーが運行されそうだというお話になって、私はフェリーで移動した後、鹿児島中央で一泊して、鹿児島市内を観光することを決めました。
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無事飛行機も無料で振替でき、肩を撫で下ろしました。
カフェ恋四季へ
11:00ごろになって、山本さんがお手伝いに行かれていたカフェこしきでお昼をいただこうという流れになり、久しぶりに徒歩で外出笑
扉を開けてすぐ、カブトムシと遭遇しました!
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この灯り、味があってすてき。
見えますか、その下にはカブトムシ。
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まず最初に目指したのは、下甑郷土館!
私は事前に、室原先生が薦めてくださった本を読んで、ずっとここに来たいと思っていました。
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先にお昼ご飯をいただくことになりました。
山本さんがホームステイされていた「カフェ恋四季」へ。
自然いっぱいの店の周りを、ご主人がお掃除なさっていました。
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メニューはリーズナブルで、私たちは日替わりランチをいただきました。
地元名産品を販売するコーナーも。甑ハニー、そして昨日の夜お会いした方が生産されていると仰っていたこしきの塩などが販売されていました。
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そして最も印象的だったのがこちらの、魚の鱗で作ったアクセサリーたち!
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こちら甑島の珍しい花、サクラランだそう。
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サクラランはホヤという別名もあって、ホヤの仲間は、日本の南部から熱帯アジア、オーストラリア、太平洋諸島などに約200種ほどが分布しているそう。九州や沖縄にも自生するサクラランは以前からよく流通していた種類で、葉に斑が入った品種もいくつかあり観葉植物としても楽しめるんだそう。
知恵袋では3年育てていて一回も開花したところを見たことがないという人も!開花しない理由を解説しているYoutubeもあって、栽培の難しさが伺えます。
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これを作成されていた方に連絡も取ってくださったのですが、最近いろんなことがあって姿を見ないそうで....お元気に過ごしていらっしゃれば良いなと思うのですが...!
鱗だからこそすごく艶が出て、繊細な雰囲気で綺麗だなと思いました。次行く時はゲットしたいな。
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お味噌汁の出汁が美味しすぎて、人生で飲んだ味噌汁の中で一番でした、お世辞抜きで!!
店員の和田さんともお話させていただきました。本当に明るくて元気な方で、「またきてねー!」と言っていただきました。シフォンケーキをお土産に、次は資料館へ。
いざ資料館へ、の前に事前学習振り返り
さて行きたくて仕方なかった資料館へ!!笑
事前に本を読んでいたこともあって、資料館で飾られていたものを何倍も楽しんでみることができました。
この資料館は、昭和58 年にオープンしたそうです。この時はまだ市町村が合併しておらず、「下甑村」と呼ばれていた頃でした。鹿島は鹿島村、下甑は下甑村と呼ばれ、それぞれの村ごとの結びつきが強かったそう。
本土の方に引き上げる人が増えて家を壊すことが増え、そこで不要になったが捨てるには勿体無い物品を寄付してもらったそうです。
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とっても長くなると思いますが、事前に学んでいた内容を振り返ります。
甑島は400年もの長きにわたって、鎌倉武士によって支配されていました。
関東にあった武蔵七党という武士団のうちの一つ、西党(あきる野市に関連)=日奉一族(ひまつりいちぞく)の中の、小川氏が甑島にやってきた鎌倉武士なんだとか。
東京都府中市にある大國魂神社で毎年5/5に執り行われる暗闇祭りでは、二宮の神輿が繰り出されますが、これはあきる野市の二宮神社神輿なんだそうです。
あまりにも地元で驚いてしまいました、2025年はくらやみ祭り行ってみようかな。
1221年、幕府軍が圧勝した承久の変で戦況を左右した、宇治川の戦いで活躍した小川太郎が、この戦いを評価され、薩摩の国甑島、肥後益城郡内の七十町歩を与えられました。
交通手段が何もない時代、甑島にたどり着くには数ヶ月かかり、また渡ろうとする時も小川氏の入島を拒む勢力により困難が待ち構えていました。350年の統治が続き、1570年、島津貴久により安堵されます。島津貴久に挑んだ時の逃げ道が、「小川どんの逃げ道」として残ってるそう。
島津貴久により安堵されて以降、薩摩藩中となり、一向宗(浄土真宗)を禁止されてしまいます。
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素敵だと思いました。
ただその一方で、変えろと言われて
そう簡単に変わるものでもないか....とも思います笑
真宗は他力本願で、南無阿弥陀仏と唱えるだけで衆生を救ってくれると考えます。先祖は代々真言宗や曹洞宗を信仰していましたが、1597年2月に一向宗禁止令が発令された後になって、島民がみな真宗に宗旨替えしてしまいます。(何があったのかは定かではないっぽい)
もちろん、先祖代々の宗旨を簡単に捨てるわけにはいかないという人々もいたが、そういった人々は孤立し、結局受け入れたり、または抵抗して山奥に逃げたりしたんだとか。
無垢な島民が真宗を受け入れ、今までにない連帯感が生まれ、さらに禁止令に背いて宗旨替えしているので、住民は門や門口に工夫を凝らし、外からは中の様子がわからないようにしていたそうです。手打の武家屋敷通りからはその名残が見られる、と学んで行きましたが...
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木が植えられていて全く家の中が見えません。
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誇り高い鎌倉武士たちは、浄土真宗信仰をひた隠しにして、より信仰を強めます。
3月には花見の節句を行っていたそう。何処だろうが何時だろうが、食べたいときに食べる楽しい節句。2段重ねのお重を抱えて、恵比寿神社、新田八幡、諏訪神社に集合したそうです。
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年に一度、ハメを外すことが許された節句であり、社交の場でもありました。狭い村社会では、普段若い男女が声を交わすのは難しい雰囲気があり、恋愛が許されない時代で、この節句の円座が男女を結びつけるきっかけを提供していたそうです。
甑島には、異国船がやってくることも度々ありました。長浜にはキリスト教信者が、貿易をするため、そして布教のためにやってきたこともあるんだとか。
長崎の出島が唯一の開かれた港で、運行途中の甑島沖での停泊は違法行為とみなされました。1642年には、9人の南蛮人が捕まり処刑されるという悲しい出来事が起こりました。下甑島の最南端にある釣掛埼には、この事件を記した殉教の地があるそうです(台風のせいで行けなかったけど....)。
資料館では、中国と密貿易をしていたという記録もあること、それがバレないよう、幕府船も見張る役割があったと教わりました。
長閑で平和な島でしたが、役人と村人の間には超えられない一線が引かれていたそう。役人が村人に溶け込もうとしても、信仰を隠そうとする村人側は、常に拒否の姿勢をとります。そうすると役人は疑心暗鬼になるが、これといった証拠を掴むことはできず、ジレンマを抱えて日々悶々としていたんだとか。
(これと全く同じシチュエーションではないですが、私たちが訪問した際も現地に住まれている方との間に何か一線引かれているのは常に感じていたところがあるかもしれません。)
三月の節句の本旨は、岩穴(ゆあな、と呼んだ)に人々が集結することでした。奥行き15m、入り口の高さ4m、幅3m、奥が縦横2mになっているこの天然の洞穴に木仏阿弥陀如来が隠されていたそう。
岩穴については、手打では「いわな」、長浜では「いわのした」、里では「かくれやま」と呼ばれていたそう。
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資料館の隣には、浄土真宗禁制時代に、村人が挙って守り抜いた木仏が置かれているという、大照寺というお寺がありました。本を読んで、木仏をみるのを楽しみにしていましたが、閉まってしまっていました。
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一方、岩穴に我関せずの若い世代は、ひたすら酒を飲みます。それを見る役人は、摘発するネタを見つけられません。
村には柔らを習得した達人が何人もいて、喧嘩が起こると仲介役を果たしていたとか。
天明の大飢饉や天保の飢饉では、甑島は大変な受難を経験していたそう。天明・天保の大飢饉では郷士の家族355名が大隅国へ、農民も多くの家族が出水へ移住したとか。
明治十九年と二十年の台風災禍などによる大飢では、約3,000名が種子島に大移動している。
島には毎年のように台風がやってきます。過酷で厳しい現状から逃れる手立ては、仏様の御心に縋るしかありませんでした。
私たちも実際に台風を経験して、その厳しさに驚きました。準備がたくさんあるし、島から出られなくなるし、物資もいつ十分に確保できるようになるかわからない。
人数が限られていてお互いに知り合いだからこそ、助け合いの姿勢が保たれていますが、
もう少し人数が多く物品の奪い合いが発生したら、こんなに平和には過ごせていないだろうなと....!
島の人たちの、身近な人を非常に大切にして、お互いに助け合う姿勢は、先祖代々この厳しい地で過ごしてきたことで培われたものなのかもしれないと思いました。
母屋の隣に併設されている小さな家をナカイといい、昼食、ちょっとした休憩、年寄りの寝床などに利用したそうです。ナカイには土間や囲炉裏もあるんだとか。
集落では、囲炉裏では重要な話はしてはいけないという言い伝えがあったそう。これは、実際は床下で役人が聞き耳を立てていることがあるから。これを、説話として、「床下には魔が聞き耳を立てているから囲炉裏では絶対に大事な話をしてはいけない」とすることで、うっかりを防ごうとしていたんだとか。
資料館で見たもの(明治)
明治時代(1868年1月25日 – 1912年7月30日)には、サンゴ漁が盛んに行われていたそう。戦時中は甑島からも出兵し、軍の基地が建設されたりもしていたそう。
優勝旗やその時に造られたサンゴの印鑑などが展示されていました。
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サンゴについては、明治40年頃が最も多く採られた時期だったそう。
飯島近海から宇治群島、草垣島に6.7人乗りの船で取りに行ったそう。
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樫の木の長さの異なるロープを何本もくくり、その先に1貫500~600(約5~6kg)の石をおもりにして4反の細を巻きつけ、針金で800~300号(150~150m)の海底を移動させる漁法で、「けたびき」というそうです。
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現在、サンゴ礁は地球温暖化など環境の変化の影響を受けて急速に衰退しており、その保全が急がれています。
サンゴ漁は現在、漁船数や操業時間、漁獲量上限などの制限があります。現在も桁網(けたあみ)が使われているそう。
高知県では日本で唯一のサンゴの原木入札会が年4回開催されていて、競売では入札価格を書いた紙が投げ込まれ、最高価格をつけたバイヤーが落札する方式だそう。過去には1本9000万円以上の値がついたこともあったとか!!
サンゴは、美術・工芸作品、立体彫刻作品、念珠、アクセサリー、ジュエリーなど幅広く加工されています。
資料館で見たもの(ビーダナシについて)
フヨウの幹の皮を糸にして織った衣服をビーダナシと言います。
ビーは芙蓉を指し、そして「いらないもの」という意味もあります。
タナシとは袖丈の短い着物のことで、袂(たもと、そで)がないことから「たもとなし」=「タナシ」と呼ばれるようになったといわれています。
タナシは、南九州で一般的に仕事着のことを指し、もともと仕事着用に作られていました。
軽くて涼しいために重宝がられ、裕福な家では盆の晴れ着等として着用したようです。
フヨウで編んだ紐や綱は南西諸島や九州の島嶼部や伊豆諸島などでも見られ、かつては中国大陸でもフヨウで衣類を編んだそうです。
しかしながら、現存するビーダナシは下甑の歴史民俗資料館に展示されている4着のみで、いずれも江戸時代か明治時代に織られたものだそう。
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トシドン
甑島のトシドンは、2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。
大晦日の夜、トシドン(に扮装した男性たち)が子供のいる家々を訪れ、悪い子供を戒めます。トシドンは、長い鼻に大きな口の奇怪な面を被り、藁蓑などを纏って現れ、大声で子供を脅かしたり、よい子になるよう諭したりし、最後に年餅と呼ばれる大きな餅を子供に与えて去って行くそう。年の初めや季節の変わり目に神々が訪れて人々に祝福を与える、あるいは、神々が訪れることで年が改まる、という日本人の民間信仰や神観念を伝える行事です。
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トシドン(来訪神)は、普段は天上界に住んでいて、子供の全てを知っているとされるそう。
「お餅を子供の背中に置いて帰る」、これはお年玉の原型と言われているそう(昔はお金ではなくお餅をくれていたとか....)
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事前に学習してから行くと有意義な時間が過ごせると感じました
恐竜壁画完成へ
完成を見届けたい!
資料館を見終わったら、また鹿島へ!そして恐竜壁画の作業に再度参加させていただくことに。
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無事完成まで作業を一緒にさせていただき、お世話になった熊本大学の学生さんや先生方と連絡先を交換して解散。
ひとつの作品を一緒に作り上げると、すごく心がつながった気がしますね...!
長い時間一緒にいたわけではないですが、とても仲良くなれました。
夜ご飯はパーティ🪅
念願のライフ!!
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さて、帰りに今日の夜ごはんの材料(というよりほとんどが飲み物とお酒)を調達して帰宅。
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確かに品薄でパンなどは殆どありませんでした。魚もお肉もめっちゃ高かったです笑
価格帯は本土のコンビニの感覚。
ここをスーパーとして使って、食料を毎日調達するのは少し厳しいだろうなと感じました。
最後の晩餐、スタート
最終日なので、贅沢に島民の方と研修医の皆さんをお呼びしてパーティ🎈
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はちみつかけたら絶品です...
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今まで食べたどのポン酢より美味しかった。
次回行っても絶対買います。
なんだか少し風味が違うんだよなあ...
老人ホームについて
ご参加くださった方々は、保健師、医師、老人ホーム経営者、看護師などそれぞれ背景が異なり、色々なお話を伺うことができました。
まず、敬老園について。敬老園には特別養護老人ホームと、養護老人ホームの2つの機能があります。
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下記は、特別養護老人ホームで働かれている方とお話させて教えていただいた内容になります。
敬老園のうち、特別養護老人ホームは、社会福祉協議会が運営しているそう。社会福祉協議会は、昭和26年(1951年)に制定された社会福祉事業法(現在の「社会福祉法」)に基づいて設置された、民間の社会福祉活動を推進することを目的とした非営利民間組織だそうです。全国の福祉関係者や福祉施設等事業者の連絡・調整をメインに行っている団体です。
特別養護老人ホームには現在30人ほどが入っていて、いつお迎えが来てもおかしくない状態の患者さんが多く、寝たきりでお話もままならない方も多いそう。島で最後を迎えたいと戻ってこられる方も一定数いらっしゃるようです。
島で最後を、と言ってもその言葉の解像度を上げると、理由は様々。海の前に位置するこのホームですが、一階にあることから海を中から見ることはできません。それでも、最後を島で迎えたいと仰る方は、「武士にも似た感じで、この土地に愛着があるんだろうね」と予想をお話しました。
馴染みの人々と過ごしたいからなのか、その地の風景が好きだからなのか、実家が安心するからなのか、など。
何か患者さんが希望を仰った際は、その言葉の解像度を一段階上げて、実際に何をすべきかを考えることが重要だと思いました。
一方で、養護老人ホーム(要介護1、2の人が対象)は、市が運営しているんだとか。所得制限(高齢者の方なので、収入は年金中心で、不動産も審査対象になるようです)があり入れる人は限られるそう。歩けるけれども家で暮らせない人がいる場所、というイメージだそうです。他にも私立の養護老人ホームは存在しますが、こちらは市立であることから、お金のない人でも入れるのが特徴だそうです。
他にも、島にはグループホームが存在しています。グループホームは認知症などの患者さんで、家で1人で生活するのは厳しいけれど歩ける(IADLは自立していないけれども、BADLは自立している人)が多いそう。
診療所には昼間介護さんが来てくれるので、オムツ交換、食事介助などは介護さんにお願いするんだと仰っていました。
島のひとの特徴
島には、島で生まれ、島外で学び働き、様々な理由で再び島に戻ってくる「Uターン」の方がたくさんいらっしゃいます。
Uターンの人たちの中には、島から都会に出て、上手くいかなかったので帰ってきた、という人も多いそう。(そういった方は、悔しさからか島を悪く言うこともあったり.....)
私は東京出身ですが、島民の方々をはじめ、都会と田舎の意識の違いというのは、親しい人たちの結びつきが強いからこそ生まれるのだと、今回の滞在期間中に強く感じました。
島出身でも、女性だと嫁入りすることもあり島に帰ってくる方は少ないそうですが、男性で、生まれたところで余生を過ごしたい、家が気になると言って戻られる方は比較的多いそう。本土で一般企業に勤めていて、定年退職後、70代になったら帰ってきて、島で漁をやるという方も多くいらっしゃるんだとか。
行政と医療
行政と医療を結ぶためには、医療者が行政のシステムを理解するのが1番早いとおっしゃっていました。
行政が決定した枠組みに対してどれだけ意見を言っても、それがすぐには反映されず、議題として会議にかけられて、実装されるまでにはおおよそ2年かかるそうです。この原因は、行政では予算をとるのが大変かつ、それを計画する時期がとても早いため、現場から出された希望は、次年度以降の予算で実現させるよう議題に出す、という流れになることだと考えられます。
希望を聞いてもらうためには、誰に何を話しておくか、そして話をする順番が大切なんだそうです。キーパーソン、決定権を持つ人間を把握し、そういった人に働きかける必要があるんだとか。
保健師の在り方
甑島は全体で3500人の人口を有していますが、そこに対して保健師さんは3人ほどだそうです。(本土の村(6000人)の時は2人だったそうで、対人口で考えると手厚い、ということになります。)
保健師さんのお仕事は、何回聞いてもなんだかイメージが掴めないので、来年度の社会医学実習が楽しみです。
皆さんと楽しくおしゃべりして、最後の晩餐終了。
本当に色々なことを教えていただいて有り難かったです。
最終日だなんて寂しいですね。